0066 考える京都❼ 高台寺と圓徳院に感情トリガーをみた
【旅ログ】
to 逆さ紅葉の高円寺の魅力を知りたい、考えたい方
to 圓徳院石庭の感動のわけを考えたい方
3日間で、寺社仏閣は7カ所回る。深めに回る。歴史はかじるくらい(少しずつ肉付けされていく)。実体験からくる感情と、観光客の反応を見て、魅力の掘り方のヒントをえる。そんな旅になりました。最後をかざったのは、紅葉のライトアップでは上位をほこる高台寺と庭園有する圓徳院。
高台寺と圓徳院 解説を読む
高台寺の塔頭全景図。
いろいろ注釈がふえた。仏教のハードルは、覚えにくい固有名詞と、専門的な言葉の数々。歴史的な背景ふまえ、言葉を崩しすぎない配慮があるのだろう。が、理解してもらいやすい簡潔な言葉への転換も時に必要とも思う。なぜなら仏教が見直されている雰囲気があるため。
圓徳院-目に飛び込んでくる庭園
圓徳院(えんとくいん)へ。龍安寺を訪れた翌日という自分のステータス。枯山水を前に思索に耽るにはもう少し時間をおいたほうがよかったかもな…とか思っていた。とんでもない。逆に、龍安寺との違いを知ることで、自分の中で庭園とはなんたるかが少しだけ理解が深まった。
圓徳院入口。
拝観チケットは、高台寺とセットのものを、ここ圓徳院で買ってしまうのがおススメ。特に紅葉シーズンは、高台寺拝観のみのチケットをあとで別途買おうとするとめちゃめちゃ並ぶ必要がある。買えるとき買う。
まず迎えてくれるのが南庭。やや小ぶりの枯山水。龍安寺は木々も視野に入らない禅の象徴のようなイメージ。こちらは、紅葉の木々も目に映る。
迷路のような回廊をくぐりぬけると広がるのがこの景色。北庭。わかったことがある。くぐりぬけて景色が転換する。一変する。その非連続性。感情メーターをつけてもらうと、あの景色が開けた瞬間に人の心は大きく動く。
トンネルをぬけた瞬間。狭い洞窟内をぬけて広い空間に出た瞬間。ちょっとした空間の構造が、感動のトリガーになる。
庭園は、ごつい石がごろごろあり無骨な自然の風景画を見るよう。おそらく遠くの木々は借景にあたるのでは。東京の庭園の奥にビルがニョキニョキでていることもない(あれはあれで面白い景色)。草木は生え変わるも、目に映るものは、昔の方が見たそれと同じものと思うと不思議な気持ちになる。
写経スペースがある。これは素晴らしい体験。寺社仏閣の定番として、お参り、おみくじ、絵馬などがあると思う。写経が書けるのは新鮮。
集中して写経を書ける静かでパーソナルな環境なんかがあると、意外に現代人は関心をもって活用するかもとか思いました。
原紙。小学生の”かきかた”の授業以来じゃないだろうか。左はらい、止めるときのわずかな返し。心の有り様が、繊細に筆遣いに現れるところが、面白い。
暮れゆく中、わらび餅と煎茶で一服。
高台寺×紅葉×夜=最強エンタメ
エンタメという言葉が適切かはさておき、こと夜の京都観光としては、高台寺はかなり上位ではないだろうか。
ただ光を当てればいいというものではない。全体の構成がすばらしい。圓徳院の庭園、参道でのお土産からつながり、逆さ紅葉、珍しい二階建ての茶室、ねね様をまつる社、竹林。
歴史に裏打ちされ、そこに幾重にも鑑賞するスポットがあり、適度な長さ。しっとり旅をしめくくるなら、ここじゃない。派手に明るくしめたいなら高台寺なら任せられる。
ライトアップが、多勢が求めるものに寄せてきている気もするが、許容範囲。
お見事。上下が逆さになり不思議な物語が始まるよう。
要所要所に解説するスタッフがたつ。現存するレアな二階建て茶室。高床式住居を少し彷彿。
秀吉の正室、ねね様も祀られている。
ほどよく疲労がたまる最後の下り。竹林が現れる。竹のもつ生命力、まっすぐさ、笹の重なり合う音。ここでも、神妙な音楽とともに竹取物語の最初のシーンが始まる想像をしてひとり楽しんでいた。
訪れた主要カ所のふりかえりが終了。このあもダイジェスト投稿をして、京都編を終えるとします。次の長期旅ログは、年末年始。どこに行くか、その理由づけを今探している。
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