![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/72048416/rectangle_large_type_2_4d751515671608f856e6c18491ff7494.png?width=1200)
0134 雑談29 Mさんキャリアデザイン@ニュートラルに進み続ける
【1on1雑談】
to 1on1雑談に関心ある方
to 通訳の仕事関心ある方
年末、身近な方と何人か雑談をする。
12月某日、この日は何度か一緒に仕事をする機会があったMさんと。有言実行な生き方をされている。その半生を伺いました。
留萌市生まれ
北海道留萌市生まれの27歳。教育大学からシアトルへ短期留学。日本に戻り大学院へ。そして通訳の研究と通訳業でキャリアをスタート。2021年にご結婚。
現在は、紆余曲折をへて、住関連のリテイル企業で、教育研修の業務に従事。グローバルに展開する企業戦略のなか、英語学習資料を手掛けている。出会ったきっかけは、資料の英訳添削の相談でした。
英語資料についての余談。考えてみると、日本企業でこのような努力に、時間と労力を費やさなくてもよいという未来がほしい。語学と国際感覚をもち、プレゼンスのある日本人がもっともっと増える未来。
幼少期-“ルーツを辿る”ロマンが芽吹く
札幌から北へ150kmの留萌市。日本海に面した片田舎。海外に行ったことないご両親。聞けば聞くほど純朴で平凡な生まれ。それがどういうわけか、北海道を飛び出し、日本を飛び出し、今こうして英語資料をてがけるに至る。さらに、生まれ変わったら考古学者になりたいなんて思いもあるという。紐解くように話を進めた。
幼少期。昔は今以上にロシアとの貿易がさかんだった北海道の地方都市。大きな体で100円ダイソーに集まり買い物するロシア人。幼いMさん。異国の大男たちの様子を今でも覚えているとのこと。怖いなという印象は不思議と無かった。目が好奇心の色で満ちる。探究心が湧いてくるのだった。
アイヌ文化と触れ合うこともひとつの原体験。異国文化との触れ合い、アイデンティティ、ルーツを探る。キーワードがつながる。彼女をとりまく日常が、このあとの人生につながっていったのだと思った。
学生時代-ニュートラル
学生時代、あふれでる探究心が昇華し、好奇心が高じて勉強もできたMさん。特に英語は得意だった。ただ突然変異的じゃなく、鼻にかける感じでもない。スケートを滑るように当然のようにニュートラルに我が道を進んでいるように感じる。
交友関係は深く狭く。ただ、排他的ではない。周りから距離を置かれているような学生とも偏見なく普通に交友を保つ。自然体。なんとなく納得。
大学受験-インフルエンザ人生動かす
札幌の北大をめざしていたMさん。受験へむけ勉強するも、努力実らず惜しくも不合格。ではない。北大受験をしなかった。正確に言うと受験できなかった。インフルエンザだ。共通試験の受験が受けられなかったMさんは、北大受験を断念。共通試験なしの受験ルートがあった北海道教育大学へ進むことに。人生がまわりだす。
校舎は函館。キャンパスライフがはじまる。大学では英語好きが高じて、字幕翻訳学の研究に没頭。戸田奈津子の翻訳からはたくさんの学びをえたという。学問はどこにでも宿るものだ。
大学2年生。得意な英語も、小さい頃から”やらされていた”という感覚が残っていた。もっと社会に役立つような、自発的に使う訓練がしたい。ドアをたたいたのが函館善意通訳会。函館は札幌ほど通訳者の競争率が高くない。Mさんほどの若い方でも、客船での通訳中心に、多くの経験をえることができた。共通試験未受験から、大きく人生が動き出していた。
留学、国際協力、大学院とステップを踏んでゆく
大学3年。シアトルのワシントン大学への短期留学へ。外にでることで見えてくるものがあるものだ。物怖じはしない。自分の可能性を試したい。自分の足りないものを見つけて、またひとつ成長を重ねる。留学からもどると、フィリピンのセブの村役場でのインターン。国際協力からも多くを学んだという。
探究心つきないまま、北大大学院進学を親に相談。かえってきた答えは”No”。ただし首席で大学を卒業するなら認めるという条件付き。結果は、みごとに大学を首席で卒業。北海道大学大学院文学研究科にすすむ。ここがすごいところ。
同年、北海道通訳アカデミーに入る。院に通いつつ通訳を生業に。英語通訳コンテスト優勝により、仕事の幅が広がる。おかげで、エビの研究にも詳しくなり、先住民族についても一定の知識をえる。そんなことになってゆく。
このころのMさん。集中的に翻訳を極めたい。そうなると必要なものは?ベースとなる多岐にわたる専門性だ。通訳という仕事はかくも奥が深いもの。知識とその可用性。表現力。補足説明。人間力を試されるような仕事だと思った。
このチャプターはさらさら書いているが、ひとつひとつが、けっこうすごいことだ。田舎育ちの純朴な通訳者。不思議な世界の住人のように感じるのは、自分だけではないんじゃないかと思う。
レジ打ちもできない人生は不健全
大学院を卒業。通訳をさらに極める道もあった。これまで少し人と違う道を歩んできた気がする。もう少し普通に社会に適用することへも憧れがあった。レジ打ちひとつできない自分。それはよくないことなのではないか。そして、選んだのが現製造小売業の会社。
車を組み立ててきたのだろう。組み立てきったその車。これからどこまでも走れそうだが、今度は景色が退屈だ。別の車を組み立ててみたいのだと思う。
結婚-死ぬまでしたい100のこと
2021年に結婚。新しいライフステージにはいっていく。雑談の前後、もちかけてみたことがある。”死ぬまでしたい100のこと”をつくる。あれだ。偶然彼女も作るところだったよう。本人はそう思ってないかもしれないが、志が高い。志が高い人と話すのは楽しい。そんなことを思わせてくれる時間だった。
“-100のこと”も、ひとつでも実現させられるよう、シェアして切磋琢磨だ。ほんとは時間が足りないくらいだったので、また暖かくなったら続きの話を聞きたいと思います。ありがとうございました。
時系列
2013 北海道教育大学函館校入学
2014 函館善意通訳会に入会
客船通訳メインで実施
大学では字幕翻訳学の研究
2015 ワシントン大学に短期留学
2015 フィリピンセブの村役場でインターン
2017 北海道大学大学院文学研究科入学
2017 北海道通訳アカデミーにはいる
英語通訳コンテストで優勝
2019 北海道大学大学院修了
2019 現在の会社に入社