
目の前の世界は本当に“全部”なのか?──“過大視本能”に気づけば、人生はもっと楽になる
はじめに──「なぜ、そんなに目の前のことが大事に見えるの?」
「なんだか最近、自分だけが悩んでいるような気がする……」「SNSを見ていると、皆が成功しているように思えて、焦る」──そんな経験はありませんか? 私自身、習慣形成のコンサルティングをする中で、クライアントさんが口をそろえて言うのが、「自分だけ変な状態なんじゃないか」「世の中はもっとうまくいっている人ばかりなんじゃないか」という不安です。
ですが、実際にじっくり話を伺ってみると、ほとんどの方に共通するのが「目の前の出来事を過大評価しすぎている」という点。いわゆる“ファクトフルネス”で語られる「過大視本能」、心理学で言う「利用可能性ヒューリスティック」と呼ばれるバイアスが関係しているのです。
いったいなぜ、こんなにも“目の前のこと”に振り回されてしまうのか? そしてその過剰なリアクションが、どれほど私たちのモチベーションや行動を阻害しているのか? 本記事では、この「過大視本能」の矛盾と仕組みを解き明かしながら、どうやって日々の行動を少しずつ改善していけるのかを考えてみます。
1. 過大視本能とは何か?──私たちを悩ませる“目の前の絶対感”
1.1 ファクトフルネスと「利用可能性ヒューリスティック」
多くの人が“いま目の前で起きていること”を、とても大きな問題として捉えてしまう──これは『FACTFULNESS(ファクトフルネス)』で指摘された典型的なバイアスの一つです。心理学の用語では「利用可能性ヒューリスティック」と呼ばれ、目に入りやすい情報や印象に引っ張られ、「それが世界全体の姿だ」と思い込む現象を指します。
たとえば、SNSのタイムラインに流れてくる「成功体験」「きらびやかな暮らし」の投稿を見て、「自分だけが苦しい状況なのかも」と錯覚してしまう。あるいは、仕事や勉強でちょっとミスをしてしまった日に、「こんな失敗をしているのは自分だけ」と必要以上に落ち込んでしまう……。これらはみんな、過大視本能が生む“ある種の錯覚”でもあるのです。
1.2 「目の前の困難」ばかり見てしまうのはなぜ?
私自身、東京大学で分子生物学の博士号を取得した後、まったく異なるITベンチャーに転職し、その後独立して習慣形成のコンサルタントとして活動するという、ちょっと変わったキャリアを歩んできました。そんな私でも、研究室時代は「目の前の実験が失敗した。自分って研究に向いていないのかも……」と極端に思い詰めたり、ベンチャー転職直後には「周りのエンジニアが優秀すぎる。自分だけが何もできない」と感じ、勝手に落ち込んだりしていました。
けれど、これらの「落ち込み」は、実際には“全体像”をまったく見ていない状態なんですよね。冷静に考えれば、優秀そうに見えるエンジニアたちも実は別の分野で苦労していたりしますし、研究室で華々しい実績を出している友人も陰で数百回も実験を失敗しています。ところが、私たちは「目に見える成功事例」や「目の前の失敗」にばかりフォーカスするあまり、それ以外の大量の“事実”を見逃してしまうのです。
2. 目の前の出来事が「全て」に見える3つの理由
では、どうして私たちはこんなにも「過大視」してしまうのでしょうか? そのメカニズムを、あえてシンプルにまとめると以下の3つが挙げられます。
2.1 SNSの構造と“目立つ情報”の偏り
SNSやニュースは、より多くのクリックや反応を集めるために「刺激の強い」情報ほど拡散されやすい仕組みをもっています。数万件、数十万件の投稿の中から「炎上」や「バズ」を起こしたものが選び抜かれ、自分のタイムラインに流れ込んでくる。すると、私たちはその“一部の衝撃的な事例”を見て、「世の中の大多数がそうなんだ」と錯覚してしまうわけです。
2.2 自分に不利な話は人に言わない心理
人間は、失敗談や悩みを大っぴらに公開することを避けがちです。もちろん、最近は「失敗から学んだことをシェアします」という投稿も増えていますが、それでもなおプライドや恥、プライバシーの問題などもあって、すべてを話す人は少数派。結果として、“みんな上手くやっているように見えるけど、自分だけ大量に失敗がある”という歪んだ印象を抱きがちになるのです。
2.3 “自分は特別”と思い込みたい本能
人は誰しも「自分だけが特別な存在」と感じたい深層心理があります。これはポジティブにもネガティブにも働き、うまくいっているときは「自分は他人より優秀だ」、うまくいかないときは「自分だけがこんなに苦しんでいる」と思い込みやすい。実際、私自身も研究でつまずいたときは「こんなにヘマをしている人はいないんじゃないか」と落ち込んでいましたが、のちに他の人の研究失敗談を聞くと「みんな普通にやらかしてるんだ!」と驚かされたものです。
3. “過大視本能”を攻略する2つのステップ
では、このやっかいな“過大視本能”を日常でどう克服すればいいのでしょうか? ここでは、私がコンサルティングでよく提案しているアプローチを2つご紹介します。
3.1 「それ、本当に全体のうち何割?」と問い直す
ステップ1:データや他人の事例を意図的に集める
たとえばSNS上で「すごい成果を出している人」を見たら、あえて自分の周囲にも視野を広げてみる。実際に知り合いを思い浮かべ、「本当にそんな人ばかりなのか?」と数えてみるのです。あるいは公的データやレポートを軽く調べてみるのも手。成功談だけでなく、失敗談も含めた“生の声”をいくつか聞いてみると、驚くほど「みんな結構、失敗してるんだ」と気づかされます。
私もかつては「博士を取った人はみんな研究が順風満帆」と思い込んでいましたが、実際に学会や論文の裏話を聞くと「締切に間に合わずデータが出せなかった」「実験装置を壊して数百万円の損害を出した」など、悲喜こもごものエピソードが山ほどある。つまり、“目に見えなかっただけ”だったんです。
ステップ2:確率的思考を取り入れる
ファクトフルネスの著者ハンス・ロスリングが強調していたように、「数字の比較」「統計の把握」は、感情的な思い込みを和らげる強力な道具です。「私が見ているこの事例は全体の何%だろう?」「バズっている数件と、バズっていない数万件、どちらが本当の“多数”?」と頭の中で問いかけるだけでも、「目の前だけが全てではない」と気づけます。
3.2 “自分は特別な存在”という錯覚を手放す
ステップ1:客観視の習慣を作る
思い込みを外すために有効なのが、“紙に書き出す”という方法。今感じている悩みや苦しみを、箇条書きでもいいので書き出してみると、意外と「それって特殊なケースでもなさそうだな」「実は誰にでも起きうることかもしれない」と分かってきます。
私の場合、毎朝7時に起床して“瞑想+振り返りの5分”を日課にし、心に浮かんだ不安や悩みをメモするようにしています。すると、“自分だけ”が悩んでいるわけではないと客観的に捉えやすくなり、少しずつ過大視本能の魔法が解けていくんですね。
ステップ2:“誰もが同じ”と知るエピソードを共有する
友人や家族と話をすると、「私もその失敗したことある」「俺なんてもっとやばいぞ」と、意外とみんな“傷だらけ”だったりします。
おかげで「自分も恥ずかしい失敗を隠さなくていいんだな」と楽になり、過大視していた孤独感や自分だけの“劣等生”感が薄れていった。人に話すのが苦手な方でも、ネット上には失敗体験を共有するコミュニティやブログもあるので、覗いてみるだけでも「自分だけじゃないんだ」と思えるはずです。
4. 日々の行動を変える:「あくまでも少しずつ」でOK
過大視本能を自覚すると、「じゃあ、目の前のことは全然大したことじゃないの?」と極端な考えに走ってしまうかもしれません。しかし、もちろん“目の前の出来事”は大切です。問題はそれを過剰に捉え、「すべてを覆い尽くす大問題」だと思い込むこと。
私が日々意識しているのは、「目の前のことを大事にしつつ、でもそれが世界のすべてじゃない」と自分に言い聞かせること。具体的には、次のような行動ステップが役に立ちます。
1. ニュースやSNSを見たら、一歩下がる
「これは多数派じゃなく、“選り抜き”の投稿かも」と心の中でつぶやき、データで確かめるか他人の意見と照合する余裕を持つ。
2. 悩みを書き出す→他の人の体験談を探す
悩みを紙に書き、類似の失敗談や成功談を検索してみる。隠しているだけで、同じ境遇の人は必ず見つかるはず。
3. 自分だけが特別だと思わない
「誰にでもあることかもしれない」と口にするだけで、驚くほど気持ちが軽くなる。
4. “全体を見る”リマインダー
スマホの待ち受けやデスクトップに、「それって本当に何%?」と書いたメモを貼っておくのもおすすめです。瞬発的に「大変だ!」と思ったときに、ブレーキをかけてくれます。
5. おわりに──特別じゃないからこそ、人生はワクワクできる
「目の前のことを、必要以上に重大だと感じてしまう」。それは私たちの脳が備えている自然な仕組みなので、ある意味しかたのないことです。逆に言えば、それだけ“自分の身近な世界”を大切に思えるとも言えます。しかし、そこにとらわれすぎると、できるはずの行動や新しい挑戦を阻む大きな壁にもなり得ます。
私も博士課程時代からベンチャー、そして独立して習慣形成のコンサルを始めるまで、「なんで自分ばかりがこんな問題を抱えるんだろう?」と悩んだ経験は数知れず。けれど、過大視本能を理解し始めてからは、「ああ、これは脳のクセみたいなものなんだな。もう少し気楽に考えよう」と思えるようになりました。その結果、毎朝の習慣や読書量も徐々に増え、気づけば新しいAIエージェントの開発に挑戦したり、過去には苦手だったエンジニアリングに没頭していたりと、むしろ楽しむ余裕が生まれたのです。
結局、人はみんな悩んでいるし、失敗もしている。成功しているように見える人たちも、見えない部分で数多くの苦労を積んでいるものです。自分が特別に不運なのではない、と気づくだけでも、心は不思議と軽くなる。そこから「じゃあ、ちょっと試しにやってみようかな」と前向きな行動が生まれるのではないでしょうか。
もし本記事を読んで、「これは意外だった」「自分にもできそう」と思っていただけたら、ぜひ“いいね”やコメントをお寄せください。自分の悩みを言葉にしてみるのもおすすめです。たとえ小さな気づきでも、次に踏み出すきっかけになるかもしれません。
「特別じゃないからこそ、みんな一緒に行動できる」。過大視本能を手放すと、いま目の前にある悩みや失敗を“身軽に乗りこなす”ヒントが見えてくるはず。ぜひ、あなたらしい一歩を探してみてください。