今年は色々なネットワークを広げたいと思い この「note」を活用していきたいと思います。 はじめましての方もいらっしゃると思いますので、簡単な自己紹介をさせて頂きます。 小学2年から野球をはじめ 瀬谷リトル→瀬谷シニア→立花学園→日本大学国際関係学部→相模原クラブ ずっと野球をやってますが、ちゃんと試合に出れるようになったのは相模原クラブに入ってからでそれまではずっと控えかメンバー外でした。 何故まだ野球をやってるのか、また何故SNSを活用しているのか。簡単に言ってしま
強制有休を使い、2泊3日で京都・大阪へ旅行に行き最終日に京都にある「伏見稲荷大社」に行き山頂まで初めて登りました。 あんまりこれから言うことはこうやって言いたくはないのですがすごい体験が出来たので少し書かせて頂きたいと思います。 伏見稲荷大社には以前にも行ったことはありますが山頂まで登るのは今回が初めて。 何故か入口の所から迎え入れられてるような感じがして不思議な感じでした。 入口を抜け山頂へ向かっていく途中に「御剱石」という所があり私の名前の漢字も「剱持」こ
前回のnoteで夢というワードを書かせて頂いたので「夢」についてお話したいと思います。 今回は野球関係半分、プライベート半分です。😂 私の夢。まずは野球関係から。 野球関係でいくと「夢」としては野球をして生きて行きたいというのと野球関係の仕事をしたいという2つです。 現在は某金融機関に入社して4月で3年目になります。毎日仕事はしてますが自分がやりたい仕事ではないと最近思っています。 前から野球関係の仕事をしたいと思っていますが中々実現するのは難しい。 欲を言えば、独
題名にある『 3月18日』とは何か。 皆さんから見たらなんでもない土曜日かもしれません。 しかし、私からすると勝負の日なのです。 何故かというと私が所属している相模原クラブの春季神奈川県クラブ大会の初戦だからです。 相模原クラブは大会であまり勝つことが出来ずいつも「惜しい」で終わってしまいます。 そこで今年は「惜しい」で終わるのではなく他チームからも警戒されるようなチームにしたいと自分で思っています。 そのためにはOP戦や大会で「勝つ」しかないのです。 また、今
今まで書かせて頂いた経緯を経て、現在は相模原クラブに所属しています。 ・なぜ相模原クラブに入ったのか。 理由としては高校時代のチームメイトが既に相模原クラブに所属しておりどうせ野球やるなら知り合いがいた方がいいと思い相模原クラブに決めました。 有難いことに加入してから即戦力として試合に沢山出させて頂き今までの野球人生では経験したことのないことを経験出来ました。 試合に出れる嬉しさ、楽しさ。試合に出てるからには結果を出そうという向上心。 大学野球でも頭を使ったり向上心
今回は大学野球編です。 大学は静岡にある日本大学国際関係学部で4年間野球部の寮で生活していました。 高校では試合に全然出れなかったので、大学で沢山試合に出るぞと意気込んで入部しましたが、そこまで現実は甘くなく大学3年生になるまではほぼほぼB戦でも試合にでることはありませんでした。 大学3年生になってからB戦に出るようになり、居残り組の紅白戦で2打席連続ホームランを打った後にAチームに選んでいただきましたが結果はほぼ全打席三振。またチャンスを掴むことは出来ませんでした。
今SNSで有名になってる「立花学園」の野球部に入っていました。 この3年間は「後悔」に尽きると思います。 3年間でベンチ入りが出来た公式戦は1試合のみ。しかも地区大会。 3年生になってからは練習試合で沢山チャンスをもらったのにそれを掴めなかったのが原因。 主に代打で練習試合使ってもらい「初球を大事にしろ」と言われてるにも関わらず、勇気が出ず初球振ることが全然出来なかった。 初球振る勇気が出ない自分に苛立ちやB戦の練習試合で28打席ノーヒットの時もあり何回も辞めたいと思った
今回は「リトル、シニア時代」について書きます。 私は瀬谷リトル・シニアに所属していました。 リトルは少年野球を卒団してからなので少しですが、硬式に慣れるために入りました。 1回も硬式をやった事がなかったのでもちろん下手な自分には結構辛かったです。 リトルでは試合の打率0割。硬式野球の大変さを学びました....💦 シニアに上がると上手い人が沢山いて練習について行くのがやっとだったり、慣れてきても試合に出られなかったりと、、、 また、シニア時代で肩と肘を計3回壊しました笑
前回の自己紹介の時に「感謝を伝えるため」と書かせていただきました。 その理由となるものを5回に分けて以下の事をこれから話していきたいと思います。 ・少年野球時代 ・リトル、シニア時代 ・高校時代 ・大学野球時代 ・現在 今回は題名の通り「少年野球時代」について。 私は小学2年生から地元のチームに入り野球を始めました。そのチームは強いチームということもあって年功序列ではなく実力主義で6年生だからといって試合に必ず出られるという訳ではありませんでした。 そのため野球が上手く