「タフですね」で大丈夫?
体の痛みとか不調とか、そういうことについては昔から比較的タフな方だと自分では思っている。これはとても幸運なこと。
多少痛みがあっても耐えられる、
少々眠くても、睡眠が短くても、、
「ストレスに対する抵抗力」として示される、いわゆる防衛体力は高いことになるのかもしれない。
しかし、これは鈍感な裏返しではないか、と最近よく思っている。
花粉症にならないのは鈍いから、、、?
ある時、健康関連の番組?コーナー?で、
「花粉症が出ないのは鈍いからなんです」
といった趣旨の発言を聞きました。
アレルギー反応は体内にある抗体の過剰な反応。
北海道出身といえど、もうすぐ30年近く東京にいることになるのだ。
よく言われる、「花粉の蓄積」が容量超えていてもおかしくはないだろう。
この話も正直裏は取れていないが、それと発症しない理由は別かもしれない。
でも、鈍いんじゃないかなというのはなるほどな、と感じた。
体のケアのために施術をしてもらった時に、
よくこんな状態まで頑張りましたね、我慢しましたね
と言われることもこれまでにあった。
中には我慢というものがあっただろうけれど、
生きてきた中でこれくらいなら大丈夫とか、
もっとしんどいダメージを受けた時に比べたら、なんて比較基準ができたためかもしれない。
しかし、それは自分の体に無理を強いていることであるし、だんだんと歳を重ねていく状態での鈍さは、昔よりも深刻な問題に繋がりかねない
そう思うところもある。
現在でもそれはすでにあって、何かダメージをしっかり体感した時には結構強い。支障をきたすくらいの。
それでも、この状況をどうにか乗り切る術も覚えてきた。助けになってくれるツールもあるし、そこにはこれまでの信用貯金もあると信じたい。
だからといって、それに甘えていては貯金がどんどん減っていく一方。さらに、その影響はいつのまにか知らないところにも及んでいくんだろう。
会社や集団の中では
引き継ぎという形で役割が変わっていって、それぞれの強み(自分で認識しているかどうは別にして)を活かした組織づくりを意図していくのだろう。
自分自身の中でも仕事の仕方や、選手に対しての立ち位置も変わってくる。
その中でも色々な役職をまわしていく必要があるので、ここという時にやる余力はちゃんと確保しておきたい。
経験も含めて以前よりもいろいろな面をアプローチ方法として出せるようになってきているのだろうと思う。
だからこそ、それぞれの濃淡や出現頻度に違いはあってもその雰囲気は残しておきたいものです。
そんなわけで、自覚なくてもチェックしてもらう機会を取るようになってきた。
体の中、特に内臓の状態は自分で自覚しにくい。自覚できた時にはまずいかもしれない。
普段の講義の中でも伝えていることを自分でも実行すること。元気がある時に見つかったらそれは幸運なことかもしれない。
これもきっかけがあって、ある年の検診で血液検査の数値がグンと上がったことがあった。
その後すぐの検査でもすぐに低下し、最終的には大丈夫そうだということになった。
そんな経験から、
自覚できないことを年に1回の状態把握でいいのかな?と感じたわけで。
その後定期的に特に何もなくても確認だけしてもらっている。
内科的な部分ではこんな感じでいられるが、整形外科的なところはまだまだ苦手。
目下、ここが大きな課題。
違う鈍さには気づいていた
身体の痛みや不調に対する鈍さにはなかなか気付けていなかったけれど、自分がどんな人間かを察知するということに対する鈍さはいち早く気付いた。
自分らしく、とか
自分のことは自分がよくわかっている
なんて言葉に対して
ちっともわからん
とは比較的早いうちに感じた。
そんな自分の鈍感力を助けてくれたのは、これまでも周りの気のおけない方達。仕事の相談や紹介をしていただいた中で、自分では想定しなかった案件や職種もある。
そこはこれからも頼っていこうと思う。
その分、「この人なら」というところは大事にしていきたい。
昔から気の合う人たちは意見が合う人たちではなく、色々な意見があることを許容してくれる人たちだったようにも思う。
幸運だね。
気付いていない鈍さはまだまだたくさんあって、もしかしたらこれからそれに直面もするだろうし知らないままのこともきっと多くある。
「とりあえず」先回りして把握するのは苦手なようなので、その時に向き合ってみようと考えています。