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量が減ったペットボトルで増えたもの、と、性格がいい・悪い、、の基準

このペットボトルには「これだけ入っている」なのか、はたまた、「これしか入っていない」なのか。というのは比較的よく聞く。
以前に聴講したブルーノ・ガルシア氏の答えは

「ペットボトルは満たされている」

だった。
曰く、【液体が減った分、気体が入っていて満タンである】と。
量という一指標だけでは測れない時がある、というか全てを拾い切れない。
もしかしたら、量が減っていても水分が抜けて濃度は上がっているかもしれない。空気と反応して別なものが生成されているかもしれない。
何かを失えば(捨てれば)得られるものがある、というのもここに通じると思う(こっちが先、、、か?)

捉え方、大事。それによって基準が変わる。
もちろん量が問われる場面ならば、中身や濃度は二の次になることもある。
絶対量で決まってしまう時だってある。

性格の「いい」と「悪い」は??

性格も一緒で、「この場面では」「この状況では」という前提があっての向き・不向き。良い・悪いは色々否定されちゃっている感じになるし、自分の良いところって言われても言いにくい部分もあるだろう。

いつから性格って【長所】とか【短所】と使うようになったんでしょうね。
全部、場面に応じた話なんだろうに。そして、特徴でいいだろうに。
性格がいい、悪いというのは自分にとっての利害も入る。
もちろん絶対的なものではない。他人によっても変わる。

そんな見方をするようになったのは最近で、それまでは大して考えもしていなかったけど。 さめたような言い方をするとなんとなく嫌悪されることがあったからかもしれないけど。
そんな風にいつの間にか触れて育ってきた中で、そこに捉われない発想をするというのはやはり大変だ。

こういうことを言いながら、自分でも全てそう解釈できているわけではない。だけど、こう考えられるようになるまで時間もかかった。
何がそうさせたのかはわかりません。

βエンドルフィンのように、苦しさから逃れるためにそういう思考に繋がるよう仕向けられたことなのかもしれない(ちょっと違うか、、)。

時に残っている能力ギリギリに負荷がかかるようなことが必要なのかもしれないけど、現状で自分が戦える場所(?)を把握しておくというのも大事。昔の経験やキャリアを引きずってるとそこの乖離が少しずつ起きてくる。


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小平健太郎
読んでいただきありがとうございます。日々の雑感やスポーツ、運動にまつわる数字を眺めてまとめています。普段はトレーニングサポートや講義を行なっています。