雑然帳~体力と多面性、あれから2年~
個人的年末年始
学校に関係する仕事を多くさせてもらっていると、ちょうど2月末~3月前半に連休がやってきます。いつもならこの時期に帰省したり、色々なところに出かけたり、のんびりできる時間。色々機会が限られている今、仕事ができる時間も貴重なものなので、それ自体のストレスがたまるということではないですが、それでもスケジュールの変動など見えないうちに受けているものはあるので、一度放出したいところです。
一旦止めてみた
連続して書いていた「つぶやき」を利用しての日記を450日ちょっと経過したところで一旦止めてみた。
忘れたわけではなく、意図的に。
継続することの力はよくわかるし、それが習慣の一部となってきた感じもある。それでも止めてみた。惰性かな?って思うことがあったからかもしれない。
本当の惰性はそうやって感じられるものではなく、終わってから気付くものかもしれない。テレビでもタレントの方がそういった話をしていた気がする。それとはちょっと違うかもしれない。
それでも、手が止まったのは「また続けられる」という感触を得たからかもしれない。トレーニングで目標回数を決めて、そこを越えたら急に挙がらなくなってしまうような。
そう感じてから止めるまでが本当の惰性だったのかもしれない。
再び #毎日note を始めてみよう。
それと同時に、こんな感じで時々まとめてみようとも思ってます。
2年前のこと
2020年2月27日の夕方、緊急事態宣言が発出されることをニュースで知った。あれから丸2年になる。
当日のことは今も鮮明に憶えていて、まずその日の朝に顧問の先生から「しばらく活動が止まるかもしれない」という連絡。ちょうどテスト期間に入るところだったので、その期間ならばそんなに変わらないのかな、なんてちょっと楽観的な感じ。
午後に別な学校へサポートに行くと、またちょっとニュアンスの違う、指示の噂を聞く。その時点ではそれが自治体としての見解だったのかな。
それでも止まる直前にサポートできた機会は無駄にするまいと、その状況でのシミュレーションを相談。これは結果的にとても役立った。
そんな日中を経て、夜は大手町でおでんをつついていたら、件のニュース。
今から見たら色々な数も少ない状態ではあるけれど、状況も呑み込めていない中で突然訪れた状況。噂に聞いていたよりもはるかに厳しいもので、その流れが延長、再延長などを経てそのまま6月まで続いていきましたね。
何をしていいのか、どうなるかわからない状況の中で、振り返ると多くのことに挑戦した、、というよりもやるしかなかったといった方がいいのか。
それ以降にも色々あったけれど、実際に宣言が出てからよりもその前の数日の方が落ち着かなかった、一番見えなかった時期でもあったのかな。
最近読んだ #マンボウやしろ さんの #あの頃な という小説。読んでいて色々と考えさせられたり、色々な感情を持ちながら読んだけれど、最後にはまた違う感情が出てきたり。この2年間に見たり聞いたりしたことがたくさん詰まっていました。
書く人が書いたら、このことも題材になるのかもしれない。
「遠出する体力」と「多面性」?
オフだった木曜日。翌日もゆとりはあったので、ちょっと日帰りで遠出でもいいかなと新宿へ。
特急の時刻表を眺める、、、「かいじ」もあるし、湘南新宿ラインなんかでもいいな。いやいや、、内房・外房かな?
色々考え、切符の購入まで進んでみたものの、、なんか最後の一手がなく断念。その後、むかいのバスタ新宿へ。ここも同じ。乗れそうなバスもあったが、なんか違う。
普段からある程度歩いたり、筋トレなんかも多少はしているのでそういう体力はある。しかし、ふらっと遠出する体力は持ち合わせていなかったらしい。その時は、かもしれない。単につかれていたのかもしれない。
ひと言で「体力」といっても、エネルギーゲージが一杯だから大丈夫ってわけではない。燃料だけあっても、それを燃やせないとね。
体のことはいつもわからないことが多いけれど、そういう日だった。そういえばこの2年、こういう機会なかったな。
体力は「多面的」だしな、、、なんて思った後に、色々なことを経由して、
「裏の顔」なんて言うようになったんだろう?
なんて疑問もついてきた。
そういうものがあったとしても、それは自然なことだしそもそも表と裏なんてものではなく、多面体なんだろうな。そして対になるものがあったとしても、サイコロみたいにトータルの合計は一緒でもそれぞれの比率が違う。
今回はこれにておしまい