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一応の自己紹介じみたもの(30分で書けるところまで)
生まれは1974、大田区蒲田。というより「六郷病院生まれ」である。が、今はその病院はない様子だ。幻だったのかもしれない。ただ、新蒲田三丁目の祖父母にお世話になった映像的な記憶は明確だ。それ以外はぼんやりしている。5歳半まで。最近、祖父が長子でありながら佐賀県から東京の多摩川の中流域の世田谷区あたりに住み着いていたことを知る。戦火の中を焼夷弾から逃げながら、ほぼまっすぐ南下すると確かに、蒲田の六郷近辺に行き着く。土地は借りて家は作ったらしい。佐賀県の伊万里出身だと最近判明した。一族とほぼ縁を切って東京に出てきた理由はほぼ誰も知らない模様。私も知らない。教えてくれなかった。※ある意味似てきたか?
ものぐさである。
だから、髪は昔は2~3か月に一度しか切らなかった。
今は、少し長くなると余計に面倒になるので、月一である。バリカンを使ってもらい、清潔感があれば十分だ。表現は容姿や衣装でするタイプではない。ただ、その場にふさわしいスタイルを意識はしている。
なので、唐突に知らないドレスコードの招待を受けた時に、かなり慌てるような人間だ。
(そういうときは、事前に予定を確保して伝えてほしいし、今からお願いとかその手の場合は勘弁だ)
少年期は野球部だったが、中学3年次に陸上部が新設されたのを機に、さっさと陸上部に転籍。
野球部の監督に、中学生にして「野球を愛していないのか?」と詰められる、笑
愛してるとか、中学生に言うもんじゃない。
(期間限定の合唱部に呼ばれたときも、同じことを言われたので、野球はもう見る事以外はしない。散々である。)
結局、個人競技が一番性に合っている。サラリーマンも相当無理がある。頑張って40歳くらいまでやってきて、それなりに経験は豊富なつもりだけれど、結果を出せるときはほぼ「単独行動」を、自由に容認される職場だったので、管理されるのが無理ということだ。現在50歳。もう、戦国時代なら寿命なので隠居したい、笑、が、やりたいことはある。
特に、公共営業の時期は、某省庁のe-Japan関連の入札案件に食い入ったがために、底なし沼に足を取られそうになる。だが、落札はした。鎌倉工場に恨まれていると某大手担当に脅される。笑
秋葉原の家電量販店で、中古カメラを販売する接客のメンバーとなる。
そのころ、中国北部からやってきた「張」というガタイのいい奴とコーワーカーとなる。意見をすると「俺に何か注文を付けるのか」と、胸倉をつかまれるがしつこく付き合っていくうちに、目標を共有するようになる。
同じように、バングラディシュのメンバーたちと交流をするようになる。そんなことは、国内でもできる事は知っていたが、この時期が一番濃厚である。
その家電量販店をやめた後に、バングラのメンバーに共同でビジネスをしないか?と誘われるが断った。それ以前にもインド系の地元で(その時期は市川市妙典地域)農業系ビジネスを共同でやらないかという誘いを別の場所で言われたが断った。
※インド文化圏は結構ビジネスに貪欲だ。そういう話は日常的だと思う。
それ以前に、医療系のシステムベンチャーの営業に誘われ、田町~浜松町あたりのインド文化圏のメンバーにもなったことがあるが、英語を書くことについてはまったくビジネスで通用しないので、挫折する。
ちなみに、今更だが、中学はその時期の新設校だった、市川市の妙典中学校だ。一期生は、二年次までプレハブだった。野球部所属はその時期だが、監督が同時に英語の専門だったので、英語は中学までは特別に大嫌いだった。
ただ、単純に英語じゃなくって、中学基礎レベルでも英会話は何とか成立することを体験上知って、特に家電量販店では積極的にインバウンドの来客の接客を楽しんだ。
フィジカルは強い方だと思う。見た目は理系だけれど、高校時代にスポーツテストで全校二位だった。確か二年次かな。一年次も同じだった気がする。三年次にスポーツテストがあった気がしない。千葉県の市川東高校出身だ。ひとつ上の世代の陸上部の先輩のメンバーが県立ではありえないくらいレベルが高かったので、自然に引っ張られる感じで記録が伸びた。
ちなみに、自らの世代はボロボロだった。陸上部副主将、長距離部長と言えばいいか?その任に適さずだ。
中学校までに、学校の試験というものは中間・期末テストは二週間程度前に「自分で試験勉強の時間割」を作って、それをやるだけで平均点は80点は行ける事を確認する。その強度を上げれば85~90点は5教科でアベレージを作れた。が、英語があほみたいに嫌いだったので、結局80点くらいに収まる。笑
(なので、塾に通ったのは受験前に3か月程度で、しかも駅ビルみたいなところでさぼっているのが関の山、単に親が行けといった記憶があるが別にいらんと思っていた節がある。ただ大学受験は学校別の対策が必要だというのは、気づいた時の後の祭りである)
色々書いてもいいんだけど、長々とくだらない話が多いので、適当にこの辺りでやめる。おおざっぱに、30分程度書き始めてから経過した。では♪
※イラストは「note」の仕組みに沿ってお借りした。