【017】仏教学習note【仏教哲学の世界観1-17】
こんにちは。
このシリーズでは僕が仏教について学んだことを記しています。
なお、僕は仏教について何にも知りません。
仏教学者で花園大学の教授をなさっている佐々木閑先生のYouTubeでの講座を見て、その内容をまとめています。
もちろん僕の主観によるまとめなので色々と解釈の違いや間違った理解があるかと思います。
それはXなどでご指摘いただけると幸いです。
あくまでも大学生の受講ノートみたいなものだと考えていただけると幸いです。
前回は「出家社会」をどのように維持できるようにしたか。というお話でした。
一般社会から離れ、ひたすらお釈迦さまのお話を聞き、修行を実践しているだけだと、当然生産活動はできないし、そもそも生産活動が嫌だから出家したという経緯があります。
修行していてもお腹は空くので、なんとか生活だけは維持できるようにする方法が一般社会に依存して食べ物を恵んでもらう、という方法でした。
今回はそんな出家社会が一般社会からお布施をもらうための条件についての解説です。
仏教哲学の世界観1-17
https://youtu.be/UPyQSBWw9-8?si=rn_QwDZ1E9H1DJqU
AIによる要約
仏教組織の生産活動と欲望抑制
仏教の島社会と出家相談
仏教僧団の生計と見返りの難問
非生産的な価値観を持つ集団の社会
仏教の見返り条件:世俗的な欲望の放棄
仏教の修行条件:世俗的欲望の放棄と誠実な生活
仏教修行者の条件:磯の行動と質実端正な生活
仏教修行者の基本条件:自足、清貧、修行生活の規律
学習したこと
生産活動をせずに生計を立てる「托鉢」(乞食)
自分の心の苦しみを消したいと思う人たちが集まり、独自の組織ができあがった。そして朝から晩まで修行三昧の生活を送るわけだが、それでは生活や組織を維持するための生産活動が一切できない。
このジレンマを解決させる方法として、
生産活動はしないが、代わりに極力質素な生活を送り、足りない分は一般社会に頭を下げ、余った食べ物などを恵んでもらう。
これを日本では托鉢、インドでは乞食(こつじき)という。
これが基本的な生計の立て方となっている。
なお、出家僧団が一般社会から貰うものを布施という。
また、この物をあげる行為そのものも布施という。
あげるものは食事だけでなく生活用品などもあわせて布施である。
このように一般社会に依存する出家僧団(インドではサンガと呼ぶ)だが、彼らが一般社会に養ってもらうためには条件がある。
出家僧団にはお金などの対価は全く持ち合わせていないので、当然一般社会からすると金銭や物品以外のものでなんらかの見返りが必要になるからである。
自分が望む価値観で生きていける社会
ところで一般社会に依存する出家社会はかなり特殊なように見えるが、じつは同じような体制は現代でも存在している。
一般社会の求めに応じて普通に働き、報酬を得て暮らすのとは異なり、
出家社会のように「自分が望む価値観で生きている社会」は他にもある。
例えば科学者や政治家がそれにあたる。
科学者であれば純粋科学(基礎科学)は宇宙の真理や自然現象の原理やメカニズムを解き明かす研究で、一般社会の生活にはほぼ関係がない。
また、政治家も自分の金儲けのためではなく、多くの民衆や国を守るためという崇高な理念にもとづいた活動である。
これらは生産活動ではないが生き甲斐に人生を掛けている人たちである。
このように仏教における出家僧団に限らず、一般社会に依存した活動は存在するし、容易に一般化することができる。
善意のお布施をもらうための条件
ではこのような活動がどのようにすれば一般社会からの依存が許される存在になるか。
そのことについて、お釈迦さまは大きく三つの方針を設けた。
それは
「世間的な欲望の放棄」
「誠実な修行生活」
「質実端正な暮らしぶり」
これらにそれぞれ細かいルールを課した。
以下はその一例となる。
世間的な欲望の放棄
一般社会と同じ喜びを持たない事(一般人と同じ欲求を持つなら一般社会に戻るべきだと思われないための配慮)
クルマや馬車など乗り物にに乗ってはいけない
お酒は飲んではならない
結婚もしてはいけない
着る服も僧侶専用の衣を着なければならない
誠実な修行生活
修行をすることが条件なので、これができなければ宗教詐欺となる
24時間規則正しい修行に邁進しなければならない
質実端正な暮らしぶり
生活に乱れがないようにする
汚い食事の仕方はしてはならない
一般社会から見られる立ち振る舞いに気を遣う
立派な修行者であることを示さなければならない
これらがきちんと守れていれば一般社会から嫌われずにお布施をもらうことができ、修行に専念できる生活が送れるとした。
このようにお釈迦さまはあるべき出家社会のルールを考案した。
これを「律」(りつ)という。
上の例はほんの一部であり、実際の律は何百条と制定されている。
感想
どんな気持ちでお布施をしているのか?
やっぱり現代の(というか僕の)価値観からするとなかなかお布施したいとは思わない。
中には詐欺めいたニセ僧侶がいるという話も聞くし、その人が真面目に修行をしているのかは見ただけではわからない。
そして結局このお話では一般社会にとっての「見返り」が今ひとつ不明だ。
科学者については理解できる。
たしかに基礎科学は普通の生活には役に立たないし、予算を削ろうという提案の話もたまに聞く。
でも、基礎科学はノーベル賞を取ったりして僕のような一般人から見ても誇りに思えるような実績を残している。
これは実際に科学の威力を享受していて、ノーベル賞という権威を僕らが認めているからだろう。
なので、大学や研究所における科学者に対して税金をかけるのはむしろ奨励すべきことだと思う。
お布施してもらえる資格
一方で政治家となると・・・
たしかに政治家は表向き高い理念と理想をもって国民に利益をもたらしたいと考えているのだろうけど、最近(2024年2月)の裏金問題とか、それ以前の旧統一教会の問題とか、正直言って信頼どころか税金を奪われているくらいの印象がある。
佐々木先生は多分こういう風に思われるのが分かってて、あえて政治家を引き合いに出してるんじゃないかな?
暗に尊敬されるべき行動をとらないとお布施を受ける資格がないとおっしゃっているような気がしてる。
お布施とは直接関係ないけど、この前こんなポストが話題になった。
戒名についてなんも知らないのでなんとも言えないのだけど、お坊さんと一般人の関係性って、今回の講義を見た後だとまるで違う世界のお話に見えてしまう。
仏教ってこうなの?
出家者は財産持って出家するのか?という疑問点
前回「大金持ちが出家して財産を出家僧団に寄付しているのでは?」という疑問があったけれど、今回のお話を聞く限り「財産を元いた社会に置いてきた」ようだ。
結局、「見返り」とはなんだったのだろうか?
在家信者がいたとして、彼らにとってお布施とはなんのメリットがあったのだろうか。
次回は「仏教哲学の世界観 1-18」
今回登場した「律」について。
以前解説された三学のうち基本ルールとしての「戒」そして、仏教僧団におけるルールとしての「律」。その違いについて解説されています。