伴走する人
あやみのギター音楽教室は「ギターによる音の旅」を楽しんでほしいという場所なので、講師の私は「学び遊ぶ場」という認識ですが、小中学生の中には「習い事」と思って通う子もきっといるでしょう。
そこで、習い事に関するデータを調べてみたのですが、ベネッセの調査では習い事を1つしている小学生は45.2%、2つ以上の習い事をしている小学生は54.8%でした。そのうち、「親も子も頑張っているなぁ~」と感じるような4つ以上の習い事をしている小学生は5.7%でした。(n=3,096)
私は小学生の頃に最大5個の習い事(塾、習字、ピアノ、水泳、ソフトボール)をしていましたが、正直好きなものはほとんどありませんでした。ピアノは後から始めた弟たちの方が先に辞めるほど、長男の私が一番長く続けていましたが、「習い事」の認識を抱えたまま約10年間教室へ通っていました。最後のピアノの発表会は「中3で部活動(サッカー)も忙しい!」という理由で辞退するつもりでしたが、両親が何かしらの会議をしたのか「好きなガンプラを買うから出てくれ。」と頼まれて、発表会に出演することに決めました。
その発表会の出演を機にピアノ音楽教室を辞めたこともあり、今ではピアノをほとんど弾くことができません。親が買い物で外出している間に布カバーだけ鍵盤蓋からはみ出させて、「練習した跡あるやん。」とアリバイ工作に勤しむような手に演奏の記憶は残らなかったようです。今のピアノ音楽教室は私が習っていた頃ときっと異なるイメージだと思いますが、「僕も手叩かれたことありましたよ~」とスパルタ教育を受けた経験談で盛り上がれる大人はそこそこ多いような気がします(笑)
私はクラシックギターの教室でスパルタ教育を受けたことがないので、「楽器によって教室の性格も違うのかな?」と初めは思いましたが、よくよく聞いてみるとクラシックギターの先生でも厳しい方はちゃんといるようです。「厳しさ/優しさとは何か」を今ここで論じるつもりはなく、習う先生によって教室の性格が違うことだけ述べておきます。また、私は20歳を過ぎて自らギター教室の門を叩いたので、ピアノ教室よりも前向きなモチベーションが受け止め方の違いを生んだのでしょう。
そんな前向きなモチベーションで通っていても、「明日レッスンか・・・」と頭を抱えた経験は何度もあります。ある時、私がギターを習っていた松下隆二さんから「賢さん、次はこの曲にチャレンジしよう。」と課題に選んでくれた曲がレノックス・バークリーの『ソナチネ』でした。レノックス・バークリー(1903-1989)はイギリスの作曲家で、ソナチネは3楽章からなる10分を超えた作品です。第1楽章は上昇スケールから始まる高揚感があり、和音は四度堆積、9th、M7の使用頻度が高く、全体的に透明感のある響きです。非常にステージ映えのする大曲で、全楽章を弾いたギタリストは輝いてみえることでしょう。
そんなカッコイイ曲を初めて知る喜びよりも、「えぇ・・・これ弾けるの?」という不安が先に押し寄せてきました。わずか1週間で先生に練習の成果を見せる必要があったのです。「今日はここからここまで!」とコツコツ小節を進める練習スタイルで、苦手なスケールや高速アルペジオに苦戦しながらも、レッスン前日までには1楽章の最後までたどり着いたように思います。ただ、「1楽章良い感じです!」という状態には程遠く、九大学研都市駅から先生の教室がある唐人町駅まで頭を抱えながら電車に乗っていました。
弾き始める前から落ち込んでいるような私でしたが、松下先生は「弾けている/弾けていない」の評価をするのではなく、「どのように取り組んでいるか?」を知ろうとして、私に演奏を促しました。とりあえず形だけ弾き終えた後、曲の背景やフレージングを教えてもらいました。そうすると、曲の表面をなぞるだけの状態から曲の内部に少しずつ分け入っていく感触を覚えます。弾けてないという自覚は相変わらずあるものの、「弾けている/弾けていない」のような「〇✕の世界」から気持ちが脱していました。
そういう自分自身の経験から“評価する人”ではなく、“伴走する人”でありたいと考えています。ただ、あまりに練習していない様子が伝わると、「毎日15分は練習してください!」と言うことはあるかもしれません(笑)
※この記事はあやみのギター音楽教室(https://ayamino-guitar-music-school.com/)に掲載したものと同じです。