Ghost Tropic と Ameel Brecht
『Ghost Tropic』を見るために元町映画館へ行った。
「これは絶対に見に行こう」と公開前から決めていたにもかかわらず、元町映画館の公開最終日に行くことになった。
本当は『Ghost Tropic』を撮影したバス・ドゥヴォス監督の『Here』も見たかったが、自分の予定と見事に噛み合わず、2作品のどちらを見るかの選択に迫られた。
そして、選んだ作品が『Ghost Tropic』である。
正直、物語として気になったのは『Here』の方だった。移民労働者と苔の植物学者の出会いがベルギーをどのように描くのか興味があった。
『Ghost Tropic』を選んだのは劇伴を担当したブレヒト・アミールの音楽を劇場で聴きたかったからである。これは人生で初めての経験になったが、映画を見るよりも先にサウンドトラックを聴いていた。しかも、一度聴いただけでなく、何度も繰り返し聴いている。
公開前に別の映画館で受け取ったチラシに「唯一無二のギターの響き」的なことがわざわざ書いてあり、検索にかけてYouTubeで映画の予告編を見たところ、映像の質感と音の余白が深い共鳴をしているように感じた。
予告編の音楽は短い時間だったが、ブレヒト・アミールの音楽にそこから魅了されている。『Polygraph Heartbeat』、『The Locked Room』、『Here (Original Soundtrack)』、『Ghost Tropic (Original Soundtrack)』の4アルバムを聴いているが、中でも今回見た映画の中でたしか2度流れた「Khadija's Theme 2」がお気に入りである。この曲は耳コピで楽譜に起こしたが、フレーズ終わりの余韻が独特で、「これはどう表記すればいいんだ?」と困った場所が所々ある。
ブレヒト・アミールはベルギーのギタリストで、リリースされたアルバムはアンビエントかつ実験の色が濃いものが多い。また、クラシックギターをルーツにもちながらも、スチール・マンドリンやミーントーンオルガンなども演奏するマルチ楽器奏者である。
私が好きな彼の音楽の一面は「音数の少なさと余韻の充実」だ。ほとんどが協和音でシンプルな和声進行の曲でも、ゆっくり深く響きを聴かせることによって、音楽を充実させることができる。ただ、「ゆっくり深く響きを聴かせる」には演奏の説得力がいる。撥音の感触、音の長さの感じ方など、説得力の正体はいくつか考えられる。
音の長さの感じ方について、約2年前のコンサート打ち上げで、松下隆二さん、縦石佳久さんと話した事をよく覚えている。「音を点か線か、どちらのイメージで主に捉えているか」、言い換えると、「ギターの撥音を鍵盤的か弦楽器的か、どちらのイメージで主に捉えているか」という話である。
例えば、アサド兄弟は点=鍵盤のイメージで、セゴビアは線=弦楽器のイメージが強いと話していた(多分)。どちらが良い悪いという話ではないが、点=鍵盤のイメージが強い私は、弦楽器のイメージを伴うフレーズ表現が弱かった。松下さんに初めてヴィラ=ロボスの前奏曲第一番のレッスンを受けたとき、「おれはチェロのイメージが乏しすぎる」と心の中で泣くほどだった。ただ、そのチェロのイメージを体と声で伝えてくれる松下さんのレッスンはとても楽しかった。