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年齢に関係なく、挑戦する姿は誰かに伝わる

久しぶりの同窓会に参加した際、「30歳を超えたから俺らはもう年だ。先はだいたい見えてる」と言う人が居ました。しかし一方で、僕は80歳を超えても日々挑戦を続けている人を知っています。なぜ、同じ人間でもこれほど大きな違いが生まれるのでしょうか?その違いは、「挑戦し続ける気持ち」にあります。年齢に関わらず、常に新しいことに挑戦しようとする心の持ち方が、人生を豊かにし、限界を超える力を与えてくれるのです。

アントニオ猪木がその生涯を通じて見せた挑戦の姿勢には、彼の祖父の生き方が深く関係しています。祖父は、80歳近くになっても新しい世界に挑もうとする意志を持ち、家族を率いて新天地へ向かいました。祖父のその姿勢は、猪木にとって生涯の教訓となり、彼自身の人生に深く影響を与えました。次にその祖父の物語を振り返りながら、猪木がどのように「挑戦する心」を学び、それを生かしてきたのかを見ていきます。

機会があったらぜひ読んで欲しい「猪木寛至自伝」

祖父の勇敢な挑戦:77歳での移住

アントニオ猪木の祖父は、77歳という高齢にも関わらず、一家を率いて新天地ブラジルへの移住を決断しました。昭和32年、彼と家族は「サントス丸」という船に乗り込み、より良い未来を求めて南米へと向かいました。77歳で新しい国への移住を決断するというのは、並大抵の勇気ではできません。祖父は家族の将来を考え、リスクを恐れずに挑戦する姿を猪木に見せました。この決断は、後の猪木の人生においても「挑戦し続ける」精神の基盤となり、彼の人生に深い影響を与えることとなったのです。

船上での悲劇:青いバナナが引き起こした死

しかし、祖父の壮大な移住計画は途中で悲劇に見舞われました。ブラジルに向かう船上で、祖父は青いバナナを食べてしまい、体調を崩して命を落とすことになったのです。当時、青いバナナが未熟で危険だという知識はあまり広まっておらず、この予期せぬ出来事が猪木と家族に大きなショックを与えました。猪木にとって、この出来事は祖父の「挑戦のリスク」を現実のものとして強く心に刻む経験となりました。しかし、それでも祖父が「家族のために新しい未来に挑戦しようとした」その姿勢が、猪木にとっては何よりの教訓となったのです。

ベネズエラ沖に流れる棺:猪木が見つめた祖父の最後

祖父の死後、家族は彼の棺をベネズエラ沖に流すことになりました。猪木はその時の光景を鮮明に覚えています。彼は後に、その時の風景を次のように回想しています。

「海に突き出したクレーンから祖父の棺が切り離されると、棺はまっすぐにカリブの海へと落下し、白い泡と共に海へ沈んでいった。やがて棺は完全に見えなくなり、その時、船の汽笛が三回鳴った。カリブの巨大な太陽は西の空を真紅に染め、赤道直下の水平線に沈んでいく様子を、私はいつまでも見つめていた。祖父を飲み込んだ海は、何ごともなかったかのように静かに波立っていた。」

この情景は、猪木の心に深く刻まれました。祖父は家族のために新たな生活を切り開こうとし、その最期も挑戦する姿勢を示していたのです。猪木は祖父の棺が沈む光景を見つめながら、「挑戦を諦めない」祖父の姿勢に深い敬意を抱きました。この瞬間は、猪木にとって忘れることのできない重要な記憶であり、彼の人生の軸となる挑戦精神を形作るものとなったのです。

祖父の精神が猪木の人生に与えた影響

祖父の挑戦とその最期は、猪木に大きな影響を与えました。祖父が77歳で新たな道に挑んだその姿勢は、猪木自身の「挑戦者」としての精神の礎となりました。猪木は「困難に直面しても挑戦を諦めない」という教訓を祖父の姿から学び、それを自身のプロレス人生だけでなく、政治活動や他の様々な挑戦に活かしていきました。

プロレスラーとしても、猪木は常にリスクを恐れず挑戦を続けてきました。彼は格闘技やプロレスの境界を越え、世界各国で新しい舞台に挑んできました。猪木の「挑戦する姿勢」は祖父から学んだものであり、彼自身もまた新しい未来を切り開いていく力を持っていました。また、猪木の挑戦精神はプロレス界だけでなく、政治や他の分野でも表れ、彼の人生全体に影響を与え続けたのです。

挑戦の精神:次世代への教訓

祖父から受け継いだ挑戦の精神は、猪木がプロレス界での成功を収めるための原動力となっただけでなく、次世代に伝えるべき重要なメッセージとなりました。猪木は、祖父から受け継いだ「挑戦を恐れない心」を信念とし、それをファンや後輩レスラーにも伝えていきました。「挑戦なくして成功はない」というメッセージは、猪木の人生哲学であり、彼の歩んできた道そのものでした。

猪木の祖父が示した挑戦の精神は、猪木を通じて次世代にも受け継がれ、困難に直面しても諦めない勇気を現代の私たちにも与えてくれます。

まとめ

アントニオ猪木の祖父は、77歳で家族を率いて新天地を目指すという壮大な挑戦を選びました。その最期は船上での悲劇に終わりましたが、その挑戦する姿勢は猪木にとって「挑戦し続けること」の象徴でした。祖父の姿勢は猪木の生涯を通して支えとなり、彼のプロレスやその他の活動において重要な指針となりました。祖父の挑戦の精神は、猪木を通じて現代の私たちにも伝わり、困難に立ち向かう勇気を与え続けています。

その後、ブラジルに移民してから猪木一家の壮絶な暮らしが始まる。夢を持ったまま、祖父が船上で亡くなったことはかえって幸せだったかもしれない と猪木さん自身が語っている。


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