Ken

これまでの人生を綴っていき、いずれは日記を書くような場所(サービス利用)して行こうかと思います。 文書組み立てるのが上手くないのですが暖かく見守って頂けると嬉しいです。 少しでも共感頂けると嬉しいです。いつかこのサービスを使い綴っていきたいと思いながらようやく使い始めました!

Ken

これまでの人生を綴っていき、いずれは日記を書くような場所(サービス利用)して行こうかと思います。 文書組み立てるのが上手くないのですが暖かく見守って頂けると嬉しいです。 少しでも共感頂けると嬉しいです。いつかこのサービスを使い綴っていきたいと思いながらようやく使い始めました!

最近の記事

My toxic mother was a former hostess? =毒親の正体は元キャバだった!?=

はじめにこの著書を書こうと思ったきっかけは、ある特定の人たちの言動が、日常的な会話の中であっても、愚痴や皮肉、時には暴言を繰り返すようなものになっていると感じたことです。そのような人たちは、自らの意見や行動に対して「自己防衛」に走り、「自分は正しい」と主張することが多く、その主張や態度が他人との対話を困難にしていると気づきました。これは、私自身が日常生活や仕事の場面で実際に経験してきたことでもあります。 本書では、そうした「自己防衛」や「自己正当化」に固執する言動をテーマに

    • 毒親(発達障害)の対応方法

      私自身が思う対策方法を簡単にエックスに書いたものを記載したものである 人生にも影響のあった自身で、予防策を見つけた。毒親(発達障害)の対応方法である。端的に言うと「OpenorClause」と言うとらえ方だ。書籍等では自分の言い分が通らないと、人の意見を聞かない/自身にない考え方や自信と同じ意見でないと否定的(罵倒)である。 解決方法として、当人の意見をよく聞き納得されそうな会話から進めていく、一般的な思いやりは期待できないので話しの誘導が得意な方でないと難しい。ある程度

      • 発達障がいの中学校生活経験談 1-2

        中学校3年生から高校生に上がるまで。準備中…。

        • 発達障がいの中学校生活経験談 1-1

          小学生(中学年)から中学2年生までつづったものである。同じ学級の同級生や教員たちは、私が何を考えているのかわからないような様子でした。私は結果的に、気に入らないことがあるとヒステリーを起こし、その後は一人になりたいという欲求から、学校内のどこかの部屋の隅や暗いところを探しました。そこで出会った場所が、音楽準備室でした。誰もいないところでドラムに触ったり、誰もいない空間を過ごすことが好きでした。また、私が発達障害を持っていることから、空間を大切にする傾向があり、学校内にある林の

        • My toxic mother was a former hostess? =毒親の正体は元キャバだった!?=

        • 毒親(発達障害)の対応方法

        • 発達障がいの中学校生活経験談 1-2

        • 発達障がいの中学校生活経験談 1-1

          あ!今思い出した!今日プラスチック「プラ」のゴミ収集の日じゃん! また、来週にしよう。。 この手の事は、障がいらしいですね!元が完璧主義の性格なのに、障がいで落ち込むはやめました。メンタル(体調不良)に、つながるのでね。

          あ!今思い出した!今日プラスチック「プラ」のゴミ収集の日じゃん! また、来週にしよう。。 この手の事は、障がいらしいですね!元が完璧主義の性格なのに、障がいで落ち込むはやめました。メンタル(体調不良)に、つながるのでね。

          いい話しも書いていきたいのだけど。 今日のお昼の一言! 今は色々あり、体内時計がちょっと狂ってるみたいで体の調子が良くなく、今日は11時間前後寝ていた。 この時間をユックリと過ごそうと思う🎵

          いい話しも書いていきたいのだけど。 今日のお昼の一言! 今は色々あり、体内時計がちょっと狂ってるみたいで体の調子が良くなく、今日は11時間前後寝ていた。 この時間をユックリと過ごそうと思う🎵

          発達障がいの幼少期経験談 0-2

          小学校入学して中学年ぐらいまでの出来事である小学校に入学した私にとって、最初に印象に残ったのは入学式直前に行われた記念撮影でした。そのとき、母が学校に来ていたのですが、誰もが驚くほどの大きなパーマをかけていました。当時の季節は突風が吹いており、写真を撮るときに風にあおられたため、私だけが目立つ姿になってしまいました。 そのときは何が原因であれ、私は母の姿が非常に目立つことを感じました。「母の行動が目立つと思っていた」というのが、私が当時感じた印象です。 しばらくして学校行

          発達障がいの幼少期経験談 0-2

          発達障がいの幼少期経験談 0-1

          はじめに、私は幼少期から成人するまでに、さまざまな悩みに直面し続けました。この著書では、その経験について書いていきたいと思います。なお、私の親は現在で言うところの毒親であり、その障がいの疑いのある行動に気づいていました。 私が幼い頃、大手メーカーの半導体製造工場のような場所にいました。その場所は、幼児保育にも使える環境でした。私はその中で夢を見ているようで、人々が私に話しかけても、私は言葉を発することができず、言葉を覚えるのが遅かったという記憶があります。しかし、同じ年代の

          発達障がいの幼少期経験談 0-1

          40代になってまるで、夢を見てるかの様な波乱万丈な人生を生きて。今の自分の老け具合についていけない僕が居た。

          40代になってまるで、夢を見てるかの様な波乱万丈な人生を生きて。今の自分の老け具合についていけない僕が居た。