前回の記事では弱音ばかり吐いてしまった。 両親との話し合いにより 今年度をもって、約6年間従事した 畜産業を辞めることにした。 といっても両親はまだ続けるみたいだが。 妻は嫁いで私の田舎に来てくれたが 仕事面での不満も多々あるみたいで 違う地方に移住したいみたいだ。 来年の4月には移住できるように 今いろんなところに相談しているところだ。 私自身も今A型事業所を探している。 不安はないといえばそんなことは ないが、なんだか肩の荷が降りたように 感じる。 とにかく
今日は最近思うことについて書いて いきたいと思う。 最近は仕事のことで悩むことが多い。 畜産業に従事しているが 枝肉相場の低下や和牛の消費低迷で 和牛をとりまく環境は厳しい。 子牛の価格も上がらず、エサ代は 高止まり。 将来の展望が見えない。 バイトもして経費や生活費に足して いるが採算が合わない。 両親は死ぬまで続けたいと言っているが 私はもう廃業してくれないかと 密かに願っている。 両親にももう続ける意志がないから 辞めると伝えていいものだろうか。 社会生
気持ちが落ち込んだときに聞いている 曲がある。 藤井風さんの「帰ろう」という曲だ。 歌詞の ‘’怖くわない失うものなどない 最初からなにも持ってない‘’ というフレーズが好きだ。 私の人生においても周りから見れば 不遇でついてないと思われるような ことでも、後悔ばかりしてはダメだなと 勇気づけられた曲である。 世間体を気にしすぎず、変なプライドを 捨て、世の中の役に立つことが1つでも 増えたらいいなと思う。 いつかLIVEで歌ってる藤井風さんを 見ることができ
今日は妻との出会いについて 書いていきたいと思う。 27歳のときうつになってから 貴方のことを理解できないと 当時の彼女に言われ振られてしまった。 失意のどん底になり、うつから 統合失調症にもなりもう私には理解 してくれるパートナーなんて 生涯見つからず、孤独で生きていくんだろう と思っていたが、失敗してもいいから 行動してみようと思いマッチングアプリ を始めることに。 私は農業に従事しているということもあったので あぐりマッチという農業を仕事にしている 人と農家に興味
今日は精神科に再入院した話を書きたいと 思います。 また再入院することになったのは31歳の ときで、前回退院してから3年ほど経った ときでした。 症状が悪化した原因は通院せず 薬を飲まなくなったことです。 こんなに落ち着いて生活できているんだから もう病気は治ったと慢心していました。 今の妻とも付き合いはじめの頃の入院で 当時、遠距離だったため妻がこちらに 来てくれたときに前回の入院生活と同じような 暴力性がみられ、家族や妻に暴言を吐いて しまっていたようです。 そ
久しぶりの投稿になります。 今回は私が、精神科に入院した経緯を 覚えてる範囲で話したいと思います。 初めて入院したのは27歳の年明け 27歳のGWに自殺未遂でうつ病と診断 され、職場を辞職し実家に帰りました。 改めて振り返ると両親に甘えて療養 しておけば良かったなと感じますが 何もしてないことに、焦燥感を感じ 両親が経営してる畜産業の手伝いをしたり ボランティアでサッカーの指導に行ったり していました。 これまでは、収入がありある程度 自分の好きなこともできていたのです
はじめまして。kenと申します! 私は精神疾患を患っています。 病名は統合失調症です。 精神疾患を患ってからは内向的に なり社会との交流も乏しくなっている 状況です。仕事は、両親の自営業を 手伝っている程度で、その仕事が なければ生活困窮に陥っていると 思うくらいです。 病気との向き合い方や、医療制度 仕事のこと、パートナーとの出会い 趣味、将来の展望など、ざっくばらんに 今後書いていきたいと思います。 最後になりますが軽く自己紹介 をしたいと思います。 ・30代男性