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降りることのできない世界での育児に向き合う

朝、赤子に離乳食を食べさせる。昼は、在宅ワークで働きながらご飯を食べさせたり、昼寝のため、子供のそばにいる。夜、夜泣きで寝付けない赤子を寝かしつけながら、自分も眠りにつく。

現代では、イクメンという言葉が流行ってきたものの、基本は女性が赤子の面倒を見る。近代家族は基本的にこういった家父長性が当たり前のように根付いている。それも近代家族というのは、社会学者の千田有紀に言わせれると、「ロマンティックラブイデオロギーが、性的分業という近代家族という制度を作り続けている」からである。

ロマンティクラブの出現以前、すなわち、近代以前は『恋愛』と『結婚』は別々に分離したものであった。だから、結果として女性が優位に立てる恋愛という概念が結婚と結びついたことで、少しづつ女性を尊重し始める立場でイクメンが生まれたという研究も確かに存在する。

しかし、ここで問題なのは、決して、育児を男性・女性のどちらかが行うのが正しいかという事ではない。女性と男性が共同で育児を行うべきだ、という話でもない。そうではなくて、こうしたイクメンという話が出てきても、「女性が母親になったことを後悔している」という、現代社会の看過できない根本問題である。

この話をすると、最近密かにネット界で話題になっている、オルナ・ドーナト『母親になって後悔している』を思い浮かべる人もいるだろう。この本では、子供を持ったことへの後悔ではなく、「母親になったことそのもの」を後悔しているという先験的にもともとあった道を断つこととなった母親の姿が描かれている。

こういう話を見るといつも、この世の中というのは、いつも降りたら負けではなく、降りることすら許されないなと感じる。

母親になったことそのものを後悔するということは、そもそも自分が母親になるという過去の道を後悔しているということもあるし、結果としてそれがやはり後戻りできない、不可逆性の道へと人は追い込まれることとなる。

こういう引き返すことのできない世界では、社会心理学の研究の中で、道は複数あるのにも関わらずあたかも一本しかないと錯覚することが分かっている。

母親になったことそのものを後悔するということは、引き返す道すら歩むことのできないことへの嘆きでもあるだろう。

よく、世の中で近頃言われることの一つに世の中は再チャレンジできない国だと発する人がいる。しかし、私は再チャレンジできるかできないかということで悩める人はこのご時世幸福なことだと思う。なぜなら、その人は仕事を辞めるなりして、進んできた道から引き返すことができたのだから。

「引き返すことすらできない」人たちをどう救うのか。これが、再チャレンジ以上に重く、そしてこのような人間が社会に確かに存在しているということを我々は忘れてはならない。

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