憧憬について
最近考えたことのまとめ
ロックバンドやアイドルなどがかっこよく見える。圧倒的なアウトプットを出していることもそうだし、自分のやりたいことに熱中していることが一番かっこいいと思う。
時にはそんな人たちと自分を比べてしまって情けなさを感じることもある。
じゃあ、それはなぜか?
それは、22歳という学部生にとっては割と大事な人生の岐路においていろんな意味の「成長」をしている自分がいるからではないだろうか。
とある本の中に、「人生は失敗の方が多い」という旨の記述があった。幼少期はそれらの失敗などに「固執」し、自分の思い通りに生きることをしてきたが、年齢を重ねるにつれて「本質」的な部分のみにフォーカスを当てて些細なことは気にしないようになり、「人生は失敗の方が多い」という事実を認め、それが自分自身であると受け入れていくようになる。
↑の過程が先ほど出てきた「成長」の定義であるとしておく。
さて、本質の「憧憬」について考えると、ロックバンドやアイドルなどは自分らの理想を徹底的に追い求める(あくまで視聴者が表面的に観察できる範囲なので当の本人たちも何か思っていることは絶対にあると思う)。
その姿が、大人になるにつれて忘れてしまった「情熱」「熱さ」なのかもしれない。失ったものを他者に投影し、昇華することでオーディエンスは満たされるし、その構造でエンターテイメントは成り立っているのかもしれない。
これが、私がロックバンドやアイドルに一種の憧憬を抱く理由であると思う。生きやすい生き方的には「他人のことは気にせず、自分は自分」の指針が昨今は囃し立てられており、それには同意する。しかし、どんなに年を重ねても、「情熱」を忘れず「青臭く」生きるのもかっこいいのではないかと思う。
個人的には青春は第三者的な目線を持った時に、過去に自分が青春を過ごしたと自覚できるものだと考えているが、その「青春」の感覚をいつまでたっても持ち続けている人間も、かっこいいと思う。
成熟した周りからは「いい年して~」と非難されることもあるだろうが、そいつの人生はそいつのもんだし、いい人生か悪い人生か(こんな二分できるものでもない)は当の本人の感覚にかかっていると考えれる。
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