ハルマゲドン回避
箱庭をやったために出てきた「兵士とピカチュウ」のイマジネーションに囚われている話は以前書いた。
昨日、妻と話していて
「そのピカチュウって本当にボーダーっぽいものなのかな」
「兵士も言ってるのと違う気がする。若い頃、戦隊モノのレッドになりたいって言ってたけど、そっちの方が近い気がする」
カミナリに打たれたかのような衝撃。
それだわ!
と。
確かに就学初期の心の傷をモチーフにしている事は確かだが、そこをどうにかしたいと感じていたのか知らないが、俺がまだ若かった出世競争をしていないチームリーダーだった頃、妻に話していた事を思い出した。
「俺は権力は別段欲しいとは思わない。だけど、後輩を守る力が手に入るなら、あるいは分不相応の力を手にしなきゃいけない。」
「俺は小隊長でいい、俺はレッドなりたいんだ。」
俺は力がない者を守りたかった。
それは「かつていじめられていた自分」を助けたかったからなんだ。
忘れていた。
俺のストラテジーはそのように使われていた。
戦略、戦術は望まれない蹂躙を許さないために得た物だった。
いつの間にか忘れていた。
臨床心理士という職を俺は尊敬している。
どなたかのおっしゃるように「もっと身近になれば良い」と何度も発信してきたし、セッションを重ねた方が、劇的な回復をしたのを昨日目にしてその想いを強くした。
確か箱庭が置いてあったと言うし、セッションの内容がイマジネーションを賦活させるものである事から、その方も俺と同じ系統の治療を受けている事がわかる。
その方のイマジネーションである「深海の箱」をサルベージするというのがなんともトレジャーハンティングする海洋冒険のようで俺は好きだ。
少し脱線。
臨床心理士を尊敬しているが、普段接している妻に叶わない面はあるのだな、と思った。
なんというか、彼らはマラソンで言う給水所のような、ボクシングのラウンドの間のセコンドのような、そんな存在なのだと思った。
彼らはランプの精でも魔法の杖でもない。
あくまで走ったり拳を撃ち合うのは俺らであって、彼らは効果的なサポートをする技術を学んで実践してきた、RPGで言うなら、回復呪文を使ったり、パーティにプラスになる効果(バフ)をかけたり、モンスターにかけられたマイナスになる効果(デバフ)を解除する僧侶や神官のような職なのだ。
そういう意味では一緒に戦場でドンパチ、隣で銃を撃ってる戦友である妻のほうが俺のことはよく知っている。
それを伝えたところ
「こちとらメンヘラと15年以上付き合ってんのじゃ」
と、少し誇らしげにグラスに入ったワインを一気に干した。彼女のそういう「漢」な部分も俺は嫌いじゃない。
かくして俺は箱庭という内世界で起こりそうだった最終戦争を回避出来た。
妻が箱庭療法に興味を示している。
カウンセリングは受けたいかよく分からないけど、箱庭はやってみたい、と。