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これはこれで寂しいな

幼い頃からイリュジョナリーコンパニオンがいた。

様々にかたちを変えていつでも俺の側にた俺の内世界の「登場人物」
そうしたものがいなくなってしまった。

そう。
境界性人格の顕現たる「獣」すらも。

話しかけても誰もいない。

拡散思考はなく、内世界の俺の分身たちもいない。

静かすぎる世界はこんなにも孤独だったのか、と驚いている。

ここを薬もコーピングもなしに答えを出さねばならない、と感じている。

酒も飲まず、新たな知見に貪欲になる事もせず、まんじりとただ「自分を過ごして」いる。

おそらく本当の意味で「外の世界」に目を向ける通過儀礼なのだろう。

最近、先住猫が俺の顔をよく舐めてくれる。
何をか察しているのだろう。
俺は自分の内世界にこもったままの人生を送ってきて、こんな事にも気づけなかったのだ。

この子は俺を気遣っている。

俺のアクティブイマジネーションで最後にあった「始原の卵」と名付けたものはこうした状態なのだろうか。

いつ孵るかわからぬ「卵」を抱きながら、ただまんじりと日々を過ごしている。

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