箱庭その後
どうにもヘリコプターの降下部隊が気になる。
というか、中隊レベルの増援を呼んでいる。
まあ待て俺。
おそらくそれは良い兆候ではない。
だがどうしても「増援を呼ぶ」というイマジネーションが離れない。
交感神経優位状態なのだろうか。
で、ピカチュウ一匹では蹂躙される、という恐れのようなものがある。多分ライチュウでもあかん。
「今度行った時、アクエリオンのフィギュアを買ってってドゲンと置いてやろうかな」とさえ思う。
「んでもアクエリオンで兵士を蹴散らすのも違うしなぁ、ん…エヴァ…いや暴走して大変な事になるな」とか同情が湧く。
兵士が可哀想なのだ。
これはいったいどうした事か。
俺は共感地蔵(心理士さん)に「ピカチュウと兵士は仲良くならねばならない」と言ったはずだ。
対立は深まり、もはや紛争の2歩手前まで来ている 笑
しかもピカチュウは俺の幼さの象徴でもあるため、さっき言った巨大ロボや平成ライダーなどのチート級の味方を呼ぶ事が出来る。
むしろ、所詮兵士など人の子よ!
蹂躙し尽くしてしまえ!とムスカかどこかの魔王が言ってそうな気持ちにさえなる。
踏み潰せ、と何かが告げる。
何かではない。境界例的自分だ。
そのイマジネーションに愉悦さえ覚える。
ん。
この感じ。
発達がゆっくりであった(協調運動障害はまだある)初期就学時にトラウマがあるような気がしていたが出て来なかった。
ないのか、とも思っていたが抑圧されているだけなのか?
このイマジネーションは小児的だ。
「お母さんに言いつけてやる」が発展して「総理大臣に言いつけてやる」からの「神様に言いつけてやる」的な昭和の時代の「言いつけてやる戦争」に発展しかけている。
そしてピカチュウ側の気持ち。
「我慢してやってんのに、やるなら容赦なく行くぞ」
そうか。
俺のこうしたある種、破壊的かつ残酷な性格の故郷はここか!
「ピカチュウ」と「犬」はある種同一の存在だ!
俺が「獣」と呼んでいた境界例の象徴と。
ある程度自我が統合された事によって、一度外在化された問題が俺の問題として再燃している!
ここで戦端を開かせてはいけない。
間違いなく一個師団対巨大ロボットか怪獣か平成ライダーあたりで最終戦争が起こって箱庭で表された内世界が焦土になる。
いやね、笑ったでしょ。
笑い事じゃないのよ?
笑っちゃうけど 笑
以前の俺ならばおそらくこのイマジネーションが出る2歩手前の段階で荒れ狂ってた。
内世界の焦土化は間違いなく、修復されるまでフキハラ全開の俺をこの世に出現させてしまう。
解離記憶…ではない。
抑圧された記憶だ。
出てくるのか?
解離記憶や抑圧された記憶が出てくる前触れの前頭葉あたりが重くかすかに疼く感じ。
いや、出してもいいんだけど、間違ってパンドラ開いたりするとメンドくさいなぁ。
なので、バイノーラルで左右に音源が交互に移動し、おそらくは眼球運動と同じ効果がある音楽を聴きながら良い事だけ思い出して寝て忘れてしまう事にしよう。
箱庭療法は悪くない。
正直けっこう面白い。
趣味:箱庭
でも良いと思えるくらいだ。
ただ、トラウマ持ちの場合、治療者または少なくともある程度の知識がある者が同席しないと面倒な事になりはしないか、という懸念を感じた。
んー 出したかったものが出てきたからいいんだけどなぁ。
差分
今、左下の領域を囲うようにトーチカを設営したい、と感じた。
この防衛的な反応よ。
よろしくない。
出るの?出ちゃうの?笑