第1回 境界性PDの「易怒性」
この記事を読んでからずっと「怒り」について考えている。
https://note.com/whatwillbewillbe/n/na6d8de43614c
易怒性もだいぶ緩和出来ていて振り払えるもののゼロではない。
感情入ってまとまらんから随想という形にした。
わけでは決してない。
違うからな?しょうがないだろ!
残念クオリティな俺なんだから!(逆ギレ)
で、まず怒りってのは何か。
例えば我が家にも2匹いる猫は「不安」という感情はあっても「悲しさ」はないと言われている。
だが怒りはある。
怒りってのは表現や行動の差はあれ少なくとも哺乳類には共通である「状態」ではないか、と俺は思っている。
感情ではなく「状態」としての怒り。
あなたの心から来るものではなくお酒に酔ったのと同じ「要因」がある事象の一つ。
それはつまり生体的な反応であり、適応行動として「怒り」を発露させているという事。
必要のない機能は進化による選択を経て退化する。
「怒り」は人類も含む哺乳類、ひょっとしたら脊髄動物全般が持っている必要な「進化」なのではないか。
…いや、解り難く言うのはやめよう。
俺はどうにも話を俯瞰的に見て、コ難しい方向に持って行きたがる。
届かなければ言葉なぞただのガラクタだ。
ただただ「境界性パーソナリティ障害」を持ってる方が不適切な激しい怒りを感じ、それを自分の「性格のせい」だと傷ついて欲しくないんだ。
性格なんかじゃない。
そうしなければならなかった、そうしなければ生き残れなかった適応行動なんだ。
あなたは消えたいんじゃない。
自分を傷つけてたいんじゃない。
だってこんなにも「怒って」生きたいと主張しているじゃないか。
さてさて本題に戻ろう。
まず結論から言うと「怒り」ってのは、生命の危機に瀕した時に行われる二つのモード
「逃走」とそれが出来ない時に起こる「反撃」モードに体が「勝手になって」しまう「状態」を「自分で認識した」ことによって起こるものと俺は考えている。
◯我を忘れてしまう?
当たり前だよ。いちいち他の何かを意識して集中出来なければ逃走経路を算定出来ないし、死を意識して反撃したらどうしても攻撃の手は狭まり弱くなってしまう。
◯後先考えずに行動してしまうだろ?
そりゃそうさ。
その時あなたは「生存」を意識していて他の事は一切後回しで問題ないと感じているんだから。
(俺はADHDの後回し癖もこれだとにらんでいる)
◯八つ当たりをする自分が嫌い?
そうだよな、知ってる。
だが考えてみてくれ。
「あなたの周りが敵だらけで」逃走出来ないと判断したらどうするか。
答えは非常にシンプルだ。
「最も弱い個体を最短で黙らせて」そこから逃走経路を確保する。
八つ当たりは未熟なあなたの不適応な行動じゃない。
戦術的に理に適った行動をしているんだよ。
◯即座に血が昇って激しく怒ってしまうって?
仕方ないだろ?
そうやって生きて来たんだ。
キツい状況には即座に反応しなきゃいけない。
心も痛みも感じなくさせなきゃ逃げられない。戦えない。
のんびり構えてたんじゃ即座にズドン!だ。
前振りなくクライマックスにならなきゃいけなかった。
養育者や他の誰かが、あるいは環境そのものがあなたをたくさん傷つけようとして来たから。
「やらなきゃやられる」
あなたは望んで上記に挙げたような「現実」を得たわけじゃない。
何らかの過酷な環境がその状況に即応するための脳や体を作りあげてしまっただけ。
それが興奮し易さだったり、軽躁状態への移行し易さだったり、てんかんの起こし安さだったり、易怒性だったり、偏頭痛だったりする。
それは果たして「感情」なのか?
「性格」なのか?
望まず置かれてしまった環境なのに「自己責任」と言える聖人はどれだけ居る?
「いやいや、自分に関係なくても「怒り」が生じる」って?
実は俺もなぜなのか悩んだんだが、これは人間を「群れなければ生存出来ない種」だからととらえたらどうだろう。
進化心理学の分野なので割愛するが、群れとして行動する上で他の個体が群れの生存に相応しくない行動をすれば、それは群れ全体の生存率を下げてしまう。
哺乳類は「お互いが安全だ」と鳴き合う事によって安心を得るのにその情報が誤りであったら群れは滅んでしまう。
つまり群れや協調を「自分の生命」と似たものである、と認識してしまうのがサルだった頃からある人間の習性なんだ。
だから比較的自分の命と関係なくてもあなたが「群れ」だと認識してしまっている人物、あるいはあなたの大切な価値観が危機に瀕していてもあなたはそれを「群れだと認識」してしまい「逃走/反撃モード」になってしまう。
これは自己愛性パーソナリティ障害で強く出る傾向だろう。
同じパーソナリティ障害クラスタBである境界性パーソナリティ障害でもその傾向は顕れる。
(ちなみにそこで他の何かに「擬態」しようとするのが演技性パーソナリティ障害で、いずれ起こるであろう脅威を制圧/捕食?しようとするのが反社会性パーソナリティ障害だと思っている)
ましてや。群れにおいて自分に近しい個体である、親や子が群れとして不適切である行動を取ったらそれは確実に生命の危機だ。
すぐにでも「逃走/反撃モード」に移行しないと自分が死んでしまう。
実際そうであるかはあまり関係ない。
あなたの脳や神経がそう認識しているんだから。
だから養育者や「つがい」になる人物。
あるいは子供だけに激しい感情の発露をしてしまうのは、哺乳類として仕方がないし人間が群れとして生きて来た途方もない時間(少なく見積もって30万年)を考えれば自分ひとりでどうにか出来る問題じゃない。
自己愛や認知が変調してしまった事は確かなんだけど、それは「異常」や「疾患」などではなく人が歴史を刻んで来た輝かしい適応であり、進化なんだ。
何度も言う。
過酷な環境に自分が望んで行ったわけでもないし、人間の膨大な歴史で培った生き残るための脳や神経の「適応」に抗うのは難しいし、あなたのせいでもなければ、あなたを過酷な状況に追いやった(かつて彼または彼女も過酷な環境を生き抜いてあなたのように「適応」せざる得なかった)誰かのせいでもない。
じゃあどうしたらいいんだ!
このまま泣き寝入りか?!
こんな自分をほっとけとでも言うのか?!
これは復讐だ!
不平等と滑稽と理不尽への鉄槌だ!
他人にも!自分にもだ!
この生き地獄を教えてやる!
大好きで大嫌いな全てに!
そんな気分になるよな。
俺は否定しない。出来ない。
俺にだってきっとどこかにずっとあるから。
コントロール出来るようになっただけで死ぬまで消えはしないだろうから。
でも出来る時だけでいいから。
少しだけでいいから思い出して欲しい。
性格でもなければ誰のせいでもないし、あなたはおそらく怒ってもいない。
ただ単に生存するために「生きるか死ぬかの状態」に自律神経が移行しているだけだし、多分憎しみも扁桃体という脳の部位が過酷な状況を学習してあなたにまた同じダメージを受けさせないように思い出させているだけの「後付け」に過ぎない。
自分にも他人にもさんざん振り回されて、間違って、いくつもの絆を自分で壊して来て後悔してる。
これからもそうしてしまうかも知れないと恐れている。
大丈夫。
ほんの少しの驚くほどシンプルな知識とコツでそこからちゃんと抜け出せるから。
参考文献
・その生きづらさ、発達性トラウマ?
ポリヴェーガル理論で考える解放のヒント
花丘ちぐさ
・サピエンス全史
ユヴァル・ノア・ハラリ
・進化心理学から見るホモサピエンス
アラン・S・ミラー /サトシ・カナガワ
・脳の発達科学8
(編)日本発達心理学会
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