【スマホゲーム】UIの合理性は海外に学びたい【赤信号でも右折しろ】
UIは国民性?
望まれるUI=合理性、と考えたときに、やはり海外のスマホゲーのUIは優れたものが多い。欧米なんかは合理性の塊のような国なので、正直日本人の思考では太刀打ちできないという印象が強いよね。
僕はLAに留学したときに現地で運転免許を取得したのだけど、カリフォルニアでは赤信号でも右折が可能だ。というか右折できるのにしないとパトカーが飛んできてチケット切られちゃう。
「人も車も来てないのになんでお前赤信号で止まってんの?バカなの?」
もうほんとそんな感じ。目から鱗とよく言うけれど、カルチャーショックが突き抜けて、合理性ではこの国にはかなわないと感じた瞬間だ。
ちなみにドライバーズライセンスは、たったの2日、1,500円ほどで取得できる。日本じゃ30万かかるって話をしたら「30万あったらこっちならトップ○スの専属教官を雇えるぞ。」と言われたのを今でも覚えている。
筆記試験は、時間なんて決まってなくて、教室に入ったらそこでほしい言語のテスト用紙をもらう。好きなだけ時間をかけて回答して、教官の元へ持参するとその場で採点されて、不合格なら新たなテスト用意をもらって合格するまで再チャレンジが可能っていうね。
話しが逸れちゃったけど、ひとつの例を挙げると、鍵のかかったキャラクターやアイテムを整理のために売却しようと思ったとき皆さんのやっているスマホゲーはどのような動作を求めるだろうか?
よくできたアプリであれば、そのキャラクターやアイテムを長押し→鍵マークをタップして外して改めて売却といった感じか。
ひどいアプリだと鍵を外すために別の画面に遷移。何階層も移動して鍵を外し、何階層も移動し戻ってきて売却といった感じだろうか。
さらに輪をかけてひどいアプリならば、移動した先で売ろうと思ってたキャラクターやアイテムを探し出せないとかね。
もうここまできたら、そのアプリのアンインストールをおすすめしたい。時間のムダだ。
じゃこれを欧米人が考えるとどうなるのというと、鍵がかかったキャラクターやアイテムを売却しようとすると、みたこともない視認性の高い色で、
「鍵かかってるけど売っていいの?」
って聞かれるの。それで「ハイ!売ります!」っていうとそのまま売却できちゃう。
この“右折できるなら赤信号でも右折しろ”に通じる“鍵がかかったまま売却できる”によって必要タップ数を大幅に減少することに成功しているわけだ。実際そのアプリを5年以上やっていて誤売却なんて1度もないので、つまりはこれでいいというわけだよね。
スキップメインのアプリもUIは全然違う。これ系はコンテンツが桁違いに多くなるのだけど、日本産の場合は、各コンテンツに入ってそれぞれをひとつひとつスキップしていくものが多く、海外産の場合は、画面下にオールスキップボタンがひとつ配置、それを1回タップするだけですべてのコンテンツがスキップされ、ズラーーーーーっと大量の報酬がよし寄せてきたりする(課金要素だったりするけど)。
20回、30回とタップを要求されるはずのものが、たった1回のタップで済むようになり、消化スピードが劇的に速くなるわけだ。
画面を遷移するごとにある読み込みの時間も同時にスキップされることになるので、快適さは桁違い。
とにかくこの合理性というのは日本のメーカーさん、クリエイターさんの苦手とするもので、もちろんすべてのアプリがそうではないものの、圧倒的に海外から遅れをとっているというのが現状だ。
プレイが終わる→ホームに戻る→クエストに入る→プレイスタート、この場合、画面遷移のローディングは2回ということになるけど、プレイが終わる→再戦ボタンを押す→プレイスタートであればローディングを1回に抑えることができる。
が、多くのアプリはこの再戦ボタンを設けずに、ローディング時間の短縮を目指す傾向があるというのはスマホゲーの七不思議といっても過言ではないだろう。
不自由≠ゲーム性
なぜこのようになるのか?というのはやはり根本的な考え方の違いなのかなと思う。
これは同期型のマルチ機能に顕著に表れるので、例にすると、日本の場合は、ホストが部屋を作りマッチング開始。マッチングすると全員が準備完了ボタンを押して待機し、ホストがスタート。マッチングできなければホストが離脱して部屋が解散されるか、NPCが代理となる場合も。そしてこのNPCはチーム戦に支障をきたすほど極めて弱い。チームの誰かが回線落ちや故意に離脱をした場合は、やっぱり勝てなくなるので、全員が捨てゲーとなり再度マッチングからやり直しといった感じ。
グローバルではどうなのかというと、ホストが部屋を立ててマッチング開始。規定時間経過で自動スタートとなり、人が足りないとNPCが代理に。このNPCが足を引っ張らないように敵のレベルが調整され、ホストが離脱すると2番目に入ったプレイヤーがホストに昇格。チームの誰か離脱した場合は、CPUがつぎのターンまで操作を代行し、スムーズに新たなプレイヤーとの引継ぎが実行され部屋が維持される。
前者は、開発の想定している状態に満たない場合に(NPCが弱い、部屋を維持できないなど)ペナルティを課すという考え方で、後者はマルチであってもプレイ感覚はソロとそん色のないレベルを目指すという考え方。
もっと平たく言うと、前者は開発ファーストであって後者はユーザーファーストというわけだね。
この考えがわかると上記のスキップ系の例もわかりやすく、前者はせっかく作ったコンテンツを毎回見てほしいという心理と、面倒な手数を踏ませることでアクティブや滞在時間を稼ぎたいという都合が優先されていて、後者はユーザーの利便性が徹底的に優先されていること。
我々は無条件にリリースされるアプリのすべてが後者だと考えがちなんだけど、じつはそんなことはないよというお話し。
皆さんがなんとなく感じている「なんで?」という違和感はここに起因しているのかもしれない。
UIをみる・話す・評価する
映画撮影において、基本的に監督は編集をしない。なぜなら撮影したフィルムへの思い入れが強すぎてまともな編集ができないとされているからだ。視聴者が不要と感じるシーンも、その思い入れのせいで切ることができず、だらだらと長くなってしまうため、編集マンという第三者が行う。そしてこの編集もひとつの芸術として認められ、賞も与えられる。
この編集に納得いかない監督が自分で編集した作品をあとからリリースするのがディレクターズカットと言われるものだね。ディレクターズカットが30分とか1時間長くなるのはそのせい。
UIや利便性には思いのほか開発サイドのこういったバイアスかかっているものなので、同じ演出をくり返し見させられたり、タップで飛ばせなかったりということが発生する。
ワンマンで作られたアプリほどこの傾向は強くなるので、UIの開発はもっともっと独立するべきだと僕は思う。
専門の会社があってもいいんじゃないかな。
1手でもタップの回数を減らす、不要な演出をくり返さない、極限までユーザーの手間やムダを削ぎ落す。これが当たり前になるためには、アカデミー賞が編集賞を授与するように、ユーザーがUIのデキを成果として認めて、話し、評価するのが当たり前にならないといけないのかもしれないね。
2021年に関して言うと、日本のアプリゲームはとてもいいスタートを切っている。非常に志高く作られたゲーム、グローバルの視点で見ても誇れるゲームが実際に売れているのは喜ばしい限り。
真の意味でユーザーライクに作られたゲームがきちんと評価されるのであれば、ユーザーも作り手もみんなハッピー。業界の発展に繋がるんじゃないかな。
これに追随するゲームアプリの登場、とくに日本のメーカーからの登場に期待したい。頼むよ2021年!
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