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データの蓄積から見えて来たツキノワグマの正しい姿 〜 本州ツキノワグマ対策最前線

本稿は『けもの道 2017秋号』(2017年刊)に掲載された記事を note 向けに編集したものです。掲載内容は刊行当時のものとなっております。あらかじめご了承ください。

ニホンジカ、イノシシに次いで近年、その生息数を大いに回復させたと見られるツキノワグマ。冬眠期が終わり、活発に行動する春から秋に掛け、東北から近畿・中国北部で発生するツキノワグマによる食害や人身事故をニュースで知ることも珍しくなくなった。

「保護」か「駆除」か。そんな単純理解では済まない現代日本人とツキノワグマの共生を探る2つの取組みを紹介する。なお、本稿で「クマ」と表記するものは、特段の言及がない限りは「ツキノワグマ」を指す。

取材|平成29(2017)年6月 文|佐茂規彦


25年間にわたる兵庫県のツキノワグマ対策。長年の観察と分析によって見えて来たツキノワグマの正しい姿を、その取組みを支える研究者 横山真弓先生に伺った。

ツキノワグマ対策の概況 〜 手探りから始まった保護政策

ーー兵庫県のツキノワグマへの対応について、概要を教えていただけますか?

西日本では1990年代に入り、個体数の著しい減少が見られるクマに対し、狩猟が自粛されるようになりました。

兵庫県でも1992年に兵庫県猟友会が狩猟自粛を決定し、1996年には県として狩猟が禁止されました。当時はまだ「保全」という意識は無く、「いないから獲らない」というぐらいの認識だったのではないでしょうか。

そして1999年の鳥獣保護法改正があり、2003年に兵庫県では第1期ツキノワグマ保護管理計画を策定し、保護管理は本格的に始まりました。さらに2015年に鳥獣保護法は大きく改正され、現在はこの3月に策定したツキノワグマ管理計画に基づいて各種の対策を講じています。

――戦後の鳥獣保護政策の中で、シカやイノシシは順調に生息数を増やして来ましたが、クマは90年代になってもなぜ増えなかったのでしょうか?

野生のクマは昭和初期の段階で相当減っていたと考えられます。

当時は外貨獲得のために毛皮の輸出が盛んでしたので、クマも含めた野生動物の多くが乱獲されました。

数が少ない上、戦後になっても、クマへの恐怖心から、たまたま獲れたら捕殺、問題があれば駆除、という状態が続いていて、具体的にメスが捕獲制限されていたシカとは違って、数を増やすことが出来なかったのでしょう。

――兵庫県のクマ対策は「保護」を確実に実行するところから始まったということですか?

そうです。狩猟を禁止にし、錯誤捕獲は原則放獣、有害捕獲の場合でも殺処分ではなく学習させて放獣することを原則にしました。どうしても集落に出て来る個体には仕方ない部分もありますが、不要な捕殺はしないという政策を徹底させました。

同時に、捕獲されたクマはその雌雄や妊娠の有無などを調べデータ化し、さらにマイクロチップを皮下に埋め込んでから放獣することで、再捕獲後のデータの蓄積を目指しました。

スタート時点では、クマの保全を目指すといっても生息数も何も分からない状態で、「たまたま見かけた」というレベルの目撃情報しか無かったのです。

クマの放獣場面。ドラム缶檻から出るクマ。2006年、兵庫県香美町にて撮影。提供:兵庫県森林動物研究センター

取組みで見えた認識の変化 〜 クマは自然に増える動物

――保護政策を強く進めた結果は出ましたか?

2004年、2006年にはクマの出没件数が飛び抜けて多い「大量出没」の年になりました。捕獲数(※「捕殺」数ではない)はそれぞれ50頭前後にも。堅果類の豊凶とリンクしているとはいえ、「クマは予想以上にいた」というのが率直な感想でした。

それまで「クマはあまり増えることが出来ない動物だ」という認識でしたが、クマは人為的に獲らなければ、今は増えることができる状態にあるということが徐々に分かって来たのです。

――なぜ、「あまり増えることが出来ない」と思われていたのですか?

クマの生態に「着床遅延」というのがあります。夏に交尾をするのですが受精卵は冬眠が始まるまで子宮の中で着床しないままなのです。

自分の生命維持のほか、2頭の子供を妊娠し、出産し、春まで授乳する。ここまでに必要なエネルギーすべてを母体に脂肪として蓄えることが出来て初めて母グマの受精卵は着床します。

(環境が悪くエサが不足しているなどの理由で)脂肪が不十分であれば、受精卵は着床できずに流れてしまいます。クマは環境に応じて妊娠することができるメカニズムを体内に持っていると言えます。

昭和初期頃の禿げ山化した日本の森林環境では、出産・保育まで成功する数は少ないと考えられていたのです。

ところが2003年以降、捕獲されたメスの個体を調査していると、そのほとんどがきっちり2頭を出産しているか、妊娠準備が出来ている状態であるという結果が得られています。

今の兵庫県の森林の環境は、人間がほとんど利用しなくなったことで、クマが生息数を増やせるほどの豊かな環境になっていると考えられます。

森林動物研究センターのロビーでは、クマの冬眠穴の内部が剥製などで再現されている。母グマは自らの脂肪だけで子グマを妊娠・出産し、そのまま数ヶ月間、授乳により育てる。基本的に出産は2頭と考えられている

「クマにとって良好な森」とは? 〜 ヒトが思う「良好な森」とは限らない

――物理的にクマの捕殺を減らすほかに、生息域の森林の整備なども行ったということですか?

クマのための森林整備というものは聞いたことがありません。

植林だらけのところで一部広葉樹林への転換を図るなどはあるでしょうけど、あくまで人間のための森林整備。今は整備以前に中山間地域や昔の薪炭林の放棄によって、野生動物にとって住みやすい環境を提供してしまっている、ということが問題になっています。

――結果としてクマにとって良い環境になってしまっている、ということですか?

そもそも「クマにとって良い環境」についてはキチンと調べられてはいません。

植林地よりは広葉樹林の方が直接的なエサは豊富と考えられますが、だから「広葉樹林を増やそう!」というのは単なる思い込みと言えます。

杉や桧の植林地で冬眠している個体もいますし、京都ではクマによる杉や桧の剥皮被害が深刻です。

表面の皮を剥いて、中の形成層を食べるのですが、彼らにとってそこがミネラル源になるからだと考えられます。「広葉樹が無く、ほかに食べるものが無いので樹皮を食べている」というわけではありません。クマは食べたいものがあるところに自力で行ける動物ですから。

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