リミットオブラブイン家電/2月19日
ずっと気づかないフリをしてきたが、認める。家のエアコンから出てくる暖房の風が、暖かくない。だからと言って冷たくもないが、ぬるい。設定温度23度でこの仕事ぶりは、ちょっといただけない。
今住んでいる家は2007年に建った、と聞いていた。2007年って、そんなに昔じゃないと思っていたが、今からさかのぼること、もう15年も前のことである。
室内の傷みはさほどひどくないし、いたってシンプルな作りで、特に流行り廃り感のある壁紙や建具でもないし、中に住んでいても、さほど時の流れを感じない。(ただし、室内ドアの右上には「National」の文字が。今なら「Panasonic」だなあ。あゝ、幸之助。)
だからこそ、エアコンの老朽化に目がいってしまうのかもしれない。
そりゃあ、家電製品を15年も使えば、ボロがくるに違いない。
昨年の梅雨どき、私が一人暮らしでずっと使っていた、それよりも前は実家でも一時期使っていた冷蔵庫が、ご臨終になった。ある朝扉を開けると、彼の内臓が、ぬるい。これは。夏に差し掛かる一歩手前だったのでなんとか惨事には至らなかったものの、失って気づく冷蔵庫のありがたさよ。部屋の片隅にひっそりと佇んでいるが、私の食生活を支えてくれている。季節を問わず毎朝納豆ご飯を食べられるのは、彼が暑い夏の日も発酵しきった納豆をさらに発酵させないようにひんやりと守ってくれいているおかげである。
そしてエアコンと同じくらい命の最後の灯火を燃やしていると思われるのが、洗濯機である。彼女は、私の5つ年上のいとこが大学生の時から現役で、その後大学生になった私へと引き継がれ、大学時代がみるみる遠くなっていく今日も、元気に回りつづける。若い時は水で顔を洗っても平気だったが、年を重ねるにつれて優しいぬるま湯で顔を洗いたくなる私。彼女もそんな気持ちなんだろうか。ただ私の思いやりをそこにまわす余裕はなく、この真冬もおかまいなしに蛇口から何の温度調整もできない水道水を、年を重ねた彼女に注ぎ込む。まわれまーわれ、メリー・ゴー・洗濯機。まだもうちょっと、どうにか頼むよ。お願いね。
家電って、何でも壊れ切ってしまう前に、その予兆を感じ取ったら、予防的に、余裕を持って、情報収集をして、事前に買い換えるのが一番なんだろう。特になくてはならない「三種の神器」や「3C」は(社会科できる風の言葉を使ってみたが、それぞれ1個ずつが思い出せない)。
だけど実際は、本当に壊れて、それがない生活の不便さを思い知って、ようやく動き出す。少なくとも、私はそうだ。
家電の買い替えの締め切りをどう設定するかに、その人っぽさが表れる。
家電の存在は偉大だし、人を行動させる「締め切り」の存在もまた、偉大だ。
エアコンは物件に備え付けだからナァ、という言い訳をして、ぬるい風を吐き出す彼とは、もう少し一緒に暮らそうと思う。
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