薄墨に意味があり、/3月5日
人生で初めて、薄墨で“意味のある”文字を書いたのは、おぼろげながら、確か1年前だった気がする。
職場の上司の実のお母様が亡くなった、なので、今日の午後から郷里に帰るので数日不在にする。上司自身が、その連絡をメールで部下に送り、私は朝出社し、いつものようにメールボックスを開き、無機質に光を放つモニターの画面を見て、その事実を知った。
上司の席を見た。普段と変わらず、淡々と仕事をこなしている。
きっと急な話ではなくて、前々から、いつかこの日が来ることをそれなりに想像してらっしゃったのだろう。そう考えると、昨日も、一昨日も、一週間前も、顔色ひとつ変えずに、そつなく仕事をこなしていた姿が、頼もしくも、痛ましくも、思えてくる。
人の死を知った時に、他の人はどんな感覚になるのだろう。もちろん、その方が自分に近しいか、そうじゃないか、といったことはあるだろうが、私の場合は、まず「誰かがこの世からいなくなった」という事実に、それが誰であったとしても、心がひゅう、と、寒いような、痛いような、そんな感覚になる。それから、その故人を想っていた、生きて遺された人のことを思い、じわじわじわと、寂しさやわびしさを感じてしまう。
私のそんな感情は、別に誰にも求められてはいないだろうが、きっと幼い時に経験した祖父の死で受けた、「今も頭の奥でその人の姿や声が再生されるのに、その人がこの世からいなくなる」という、混乱と衝撃、現実の受け入れられなさ、そんなものがぐちゃぐちゃに混ざった、「悲しみ」という一言では片付けられなかった感情がベースになっている。幼かったが故に、その事実を自分の中で受け入れることができるようになるまで、ただひたすらに鼻を垂らして泣き叫んでいたことは忘れない。あれから、そこに自分の人生がもっと積み重なっていき、自動的にそう感知してしまうのだった。
人生を長く生きた者順に、それなりに順当に、人が亡くなる営みは、決して若者が多くない実家とそのまちに居れば、割と生活の身近で感じられた。ご近所のおばあちゃん、親戚のおじいさん。
だけど、実家から離れて暮らす今の私の生活圏内では、物理的にも精神的にも、身近な人の死に直面する機会がかなり少ない。おのずと、人の死に際するマナーなども、学ぶ機会がない。
そこで。ご本人が居る前だったが、課で香典を出すことになり、「あんた字書けるやろ、頼むわ」と、先輩から、香典袋と薄墨風の筆ペンを渡された。ご祝儀袋の表書きをしたことはあっても、香典袋の表書きをするのは、人生で初めてのことだった。
このようなシーンで、薄墨で文字を書く理由ー亡くなった方を悼み、流した涙で墨が薄まってしまうーはなんとなく知っていたが、その他のマナーについては無知だった。たかが気持ちばかりのお金を包む袋だが、されど、だ。上司の、大切な方が亡くなっているわけである。ただただ、失礼のないように(本人が近いところでこんなことをしている時点で、すでに失礼だとは承知で)急いで調べた。文字の配置、金額の書き方。
そして、ペンの蓋を開け、ふぅ、と息を吐いて、一筆、一筆、書き進めた。
心臓がかなり、どくどくどく、と脈を打っていたことは、今でも覚えている。
たかが、袋なのである。受け取る側だって、形式上のそれだと思っていることは容易に想像できる。だけどやっぱり、袋だけではない、と私は思うのだ。
お顔を拝見したこともない、上司のお母様。私はもちろん直接のつながりはない。だけど、普段からお世話になっている上司が私たち部下に注いでくれている優しさや強さの根源が、そのお母様が与えてくださっていた愛そのものだとしたら、故人は決して“会った事のない他人”ではない。
だから、ただお金を出すだけではなくて、袋に文字を書くだけでもなくて、できるならそこに、気持ちを込めたい。かたちのない、祈りや悼みに意味があるとするならば、そして自分ができるなら、袋に書く一文字一文字にだって、目には見えない気持ちを込めたい。そう思った。
込めた気持ちは、どうあらわれるのか、と言われたら、それは表面的には、整った文字を並べられることで判断されるのかもしれない。綺麗な字だね、と。
だけど、それはあくまで前提として、もっと深い部分に想いを感じてもらえる字が書けたらな、書きたい、と思う。
なんでも早く、楽に、合理的に済まそうと思えば、ご祝儀袋だって、香典袋だって、必要ない。そこに付随するマナーも、「面倒くさい」で片付けて、切り捨てようと思えばできてしまう。
だけど、あえてそこに手間をかける文化が今も残っているということは、その手間をする一連のプロセス自体に意味を込められるからではないだろうか。
私はその意味を自分の中に取り込んで、気持ちに変換させ、表現し、伝えられる人でありたいし、そうしたくてもできない人の役に立てるなら、大いにその代役を買って出たい。
書くことは、目に見える情報を伝えるだけではなく、目に見えない想いを込める営みでもあると、疑ってやまない。
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なんと。1ヶ月続けて書くことができた。
明日は一旦お休みします。
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