自己肯定感についての再考
勉強はできたが・・・
物心ついた頃から勉強をしていた。
ポピーで学習し、幼稚園受験をした。
小学校に上がるとポピーと公文と宿題をしていた。
中学校では英語のスピーキングと、数学と英語の筆記の家庭教師が付いた。
高校は代々木ゼミナールに通った。
勉強をするのが当たり前だった。
しかし、どれだけ頑張っても誰も褒めてはくれなかった。
いい点を取るのは当たり前。
そうだ、小一の時、成績が良かったからゲームウォッチの液晶画面が二面のドンキコングを買ってもらったんだった。今でも納戸にある。
話しを戻す。
幼稚園に入る前に時計の読み方を親に教わった時のことだ。
いろんなところにピッタリに合わせた時計が置かれ、突然「今、何時?」と訊かれるのだ。
例えば7時とか19時とかの24時間と、午前7時とか夜7時かの何れかなど。親の気分でパターンを変えられていたで、その時々の読み方で答えなければならない。
間違えると「何でできないんだ?!」と怒られた。
しかも、いつ訊かれるかわからないので、いつもビクビクしていた。
時計と、自分の氏名や両親の氏名、家の住所と電話番号を覚えさせられたのは迷子対策でもあり、幼稚園の試験の為だった。
ポピーでひらがなや数字、簡単な足し算や引き算はできるようになっていた。
小学校に上がったときの最初のIQテストで僕はIQ120を出し、2年では150だったと何れも高スコアで先生から親に電話がかかってきたらしい。
その時ばかりは親に褒められた。
しかし、小学校2年生の時の九九の暗記の躓きで自己肯定感が更に低くなる出来事が起きる。
6の段から先に苦しめられた。
毎朝、皆の前で九九を諳んじなければならなかった。
それが苦痛で仕方なかった。
僕は時計の学習から間違えることに恐怖を感じるようになっていた。
出来が悪いと怒られる。
僕はいつも怒られてばかりだったので幼児の頃からいわゆる自己肯定感が低い。
毎日、ビクビクしながら生きていた。親の顔色を窺う毎日。緊張を強いられる環境。
そのおかげで勉強はできた。
中学校は越境して市内で一番成績の良い中学に入学した。
しかし、既出のようにHRだけ出て一限目前に早退して遊んだ。
つるんでいたお姉さんと遊べない時は、図書館に行き本を読んだ。
棚の片っ端から読んで全部の本の貸し出しカードに自分の名前があるのが楽しかった。
朝から制服を着て、革カバンを持ち図書館に来る中学生がいるのを見逃して下さった司書さんに感謝だ。
補導されてもおかしくはない。
30年前以上前から不登校なのだ。
子供も同じ道を歩んでいるので血だな(笑)。
僕は小学校3年生にアニヲタになり、小5で演劇にハマり、中学でインディーズバンドにハマりと趣味は充実していた。
親もやることはしっかりできていたので、演劇のチケットを取ってくれたりと趣味の為のお金は出してくれた。
僕にも認めて欲しいと言う承認要求はあった。
でも、貶されることがあっても褒められることがなかったので、自己肯定感は低くく承認要求も前面に出せなかった。
苦手なこと
今でも、誰かに見られながら仕事をするのが苦手だ。
間違えまいと緊張して、頭が真っ白になる。
資格受験とかのテストは緊張しないのに、仕事の作業を誰かに見られるのは緊張する。
今でも間違えることに恐怖する。
だから緊張下に晒されてのストレスが半端ない。
できるだけ監視下に晒されないような場所取りに専念する。
お気楽極楽な仕事なんかない。
でも、今のバイト先はまだマシかもしれない。
誰とも喋らないで済む。
いろいろ詮索されるのが苦手。
大体は黙って仕事ができるが、件の「起業したいんすよー」が来るとみんなが喋り出す。
鬱陶しい。
喋りながら作業できないので「起業」が来ても喋らない。
男脳だから喋ると作業が滞ってしまう。同時に二つのことができないのだ。
水曜日は面倒臭い。
僕でいいのかな?
あらゆる面で「僕でいいのかな?」と言う疑問がついて来る。
バイトの面接に行き、「◯◯日から来て下さい」と合格の返答が返ってくると、いつも「本当に僕でいいのかな?」が発露する。
仕事に自信が持てない。
最近、1人で離れ小島で作業することが多くなり、そこそこ任されるようになった。
少し自信がついてきたようにも感じる。
昔、数多の告白にも自信が持てないから断ってきた。それは僕が無性愛者だと気づく前からだ。
「こんな僕とは釣り合わないんじゃないかな?」随分偉そうな言葉だけど、意味は逆で僕より他に釣り合う人がいるだろうから、そっちに行くべきだと思ってしまうのだ。
申し訳なくなる。
たまにそれでも怯まずグイグイくる奴がいる。
前夫と現夫だ。
断ったのに言い寄ってくる。
最後は根負けしてしまう。
何故なら不憫だからだ。
こんな僕と付き合いたいなんて言う人がいて奇特な人だなぁと思う。
自分に自信がないことを隠してしまうこともある。
自分を偽って生活するのは苦しい。
でも、僕についているいくつかのオプションが助けてくれることもあり、今まで、まぁまぁな人生を歩んできた。
自己肯定感が低いので何かを決断する時に「僕でいいのかなぁ…」が出てきて判断が鈍る時が多い。
でも、今のバイト先で「貴重な戦力と考えております」と言われたので、頑張ることができている。
僕は意外とチョロい。
でも、自尊心は高いのだ。
反比例しているが、自己肯定感は低いが自尊心は非常に高い。
学歴が僕を支えているのかもしれない。
そんなちっぽけなことで生きていけるんだなぁ。
情けないけど僕にはそんな生き方しかできない。
結論
幼少期から褒められたことがない。
間違えると怒られる。
どれだけ成績が良くても「もっと上を目指せ!」ばかり。
難関校に入学したのに「入って当たり前」。
これで自己肯定感が高くなるわけない。
数々のオプションで辛うじて自尊心は保たれている。
逆に褒められると何か裏があるような気がする。
冷静に考えてみると、親は僕のことをかなり馬鹿にしていた。
20年前くらいに『テスト・ザ・ネイション』と言う番組を家族3人でリアタイで観ていたとき、かなりのスコアを出した。
その時、やっと「お前、すごいな!」と感嘆された。
最高の褒め言葉だった。
褒められた記憶は小学校の頃のIQテストと『テスト・ザ・ネイション』だけだ。
どっちもIQだ。
難関校を突破した時は何にも褒められなかったのに…。
今はもう完全に馬鹿になってしまい、メンサの問題も解けなくなっている。
僕の自己肯定感の低さは親の過剰な期待と完璧主義で作られた。
一人っ子ということを差っ引いても過剰だった。
でも、その過剰さがなければ難関校への道は閉ざされていたに違いない。
今となっては真相は闇の中だが、多分そうだ。
これから子供が欲しいと思っている方には忠告したい。
過保護と過剰な期待は子供を潰す。
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