「スカイウォーカーの夜明け」は、エピソード8に怒り狂ったマイケル・ベイによるまあまあマイケル・ベイしてるマイケル・ベイ映画

スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明けを観てきたのでネタバレレビューする

 飛び交うビーム、薄汚れ使い込まれたダサかっこいい様々なビークル、とにかくかっこいいライトセーバー、荘厳でセンチメンタルな音楽、超巨大兵器。映画史に偉大な足跡を残す伝説のスペースオペラ、その最新作が公開されたので平日の朝から見に行った。普段遭遇しないので通勤通学の皆さんが妙に物珍しく感じられる。
 見たのは字幕版IMAX2D。音が大迫力で臨場感溢れてるのは良いんだけど、予告でいちいちIMAXで観よう!って言われるのウザいね。

 つまらない前置きはこれくらいにしよう。あ、念の為に言っておくけれどバンバンネタバレしていくのでネタバレ見たくない人はここで引き返してください。

いよいよ終わる続・三部作。監督はなんと……

 映画が始まるとスター・ウォーズのいつものやつ。遥か昔、遠い銀河の彼方で……と幕間を説明するやつが流れてくる。ここで早速衝撃的な情報!旧三部作のラスボス、皇帝パルパティーンが復活したのだ!なんともマイケル・ベイらしい出オチ展開である。トレーラーでネタバレ食らった!と思った人にも優しい。このアナウンスを聞いた我らがカイロ・レンはせっかくファーストオーダーの実権を握ったのに!とブチ切れて皇帝の捜索を開始。開始二十分くらいであっという間に見つけ出す。皇帝はレンに衝撃の事実を告げる。ファーストオーダーもスノークも全ては皇帝の手の内であり、さらに現ファーストオーダーの一万倍の戦力「ファイナル・オーダー」を密かに揃えて時を待っていたと言う!フォースの覚醒のファーストオーダーでかなり台無し感あったのにさらに万倍の台無し。流石はマイケル・ベイ。
 テンポの良さはマイケル・ベイの特徴のひとつだ。そこからも軽快なテンポで物語が進む。得意のカーチェイス脈絡なくしつこく追跡してくるファーストオーダー、やけくそ気味のチャンバラ。そうそう、今回はストームトルーパーさんがジェットパックで空を飛ぶ。多分ゲームからの逆輸入かな。もちろん撃ち落とされたストームトルーパーさんはひどい目に遭うイッツァベイ。軽薄にフラグを立ててはなんのヒネリもなく回収される展開には感動すら覚える。そして突然レイの手のひらから放たれる電撃!!!!これは……まさか……??
 そう、レイはパルパティーンの孫だったのだ!レイの両親はなんか良い人で、レイを隠すために奴隷商に売り飛ばしたのである!ドヤ顔で告げるレン。いやお前エピソード8でドヤ顔でお前は誰でもないとか言ってたよな???てかレイアも知ってたとか言ってるんだけど。そこまであとづけ必要か?あ?
 流石マイケル・ベイ
 スカイウォーカーの夜明けの特徴はマイケル・ベイ節だけでは無い。上記のような徹底した前作「最後のジェダイ」の否認も大きな要素だ。
 例えばカイロ・レンは前作で、コスプレだとバカにされてダースベイダー風のマスクを捨てている。単にバカにされただけでは無く、レンの自立のメタファーでもあったこのマスクを、冒頭でレンがまたあっさり被るのである。なんかイカした赤い筋を付け足して。前作では強引にパーティーを引っ張っていたローズは、任務があるからとか言って基地に残るし霊体ルークライトセーバーを大切にしろとか言い出すわ島に引きこもってたのは間違いだったと説教するわで前作のひねくれジジイの面影が欠片もない。もちろん、ラストで出てきたフォースを使える奴隷のこどもも影すら見えない。
 この執拗さには単に前作の賛否が分かれ批判を恐れただけという以上の、狂気に近い怒りや憎しみが感じられる。ただ推測には限界がある。この話はここまでに止めておいたほうが良いだろう。

マイケル・ベイらしからぬ点も

 この映画を「まあまあマイケル・ベイしてる」と評したのはそこが理由だ。完全にはマイケル・ベイしていないのだ。
 まず注目なのは、ところどころで見られるイカした美術である。いくつか上げよう。例えばエンドア星系の海に落ちているデス・スターの残骸だ。激しい高波に洗われてなお悠然とそびえ立つデス・スターには壮大さと同時に寂寥感も感じられて心に沁みるものがあった。ちなみにそこへは皇帝の居場所を探しに来たのだが、キーアイテムは古代シス語で謎解きが書かれた短剣で、なんと短剣の凹凸をデス・スターの外形の凹凸に重ねると、秘密のアイテムの場所を示してくれるのである!よくあるやつ〜。と言うかパルパティーンさんいつそんな仕掛け作ったんだ。楽しそうだな……
 皇帝の居城もイカしている。巨大な石のピラミッドが人ひとり立って歩けるくらいの位置に浮いていて、どういう仕掛けか地面と建物の間を雷がバシバシ走っている。そしてピラミッドのさらに遥か上では、惑星を破壊出来る巨大な主砲を装備したスター・デストロイヤーが空を埋め尽くして待機している……まさにスター・デストロイヤーである。ちなみに前作までは、星を丸ごと破壊出来るような兵器をスター・デストロイヤーは持っていなかった。デス・スターみたいな規格外の兵器の専売特許だったのである。おそらくベイは「それじゃ名前負けしてるじゃん」と考えたのだろう。流石はマイケル・ベイ。
 ラストにはそのスター・デストロイヤーの群れがカトンボのように落とされて、その様もなかなか見ものだった。
 足りないところもある。そう、クライマックスへの入りでメインキャラが整列し、スローモーションでカメラに向かって行進し、めちゃくちゃアガる音楽が掛かるアレ。アレが無い。しょんぼりである。代わりにスローモーションで仲間がやられ、声にエコーがかかり、絶望感を演出するアレはある。次の瞬間加勢が到着し大逆転が始まるのは実にベイっぽい。あと、レン騎士団が意味ありげに登場してポーズを取るも特に何もしない、というシーンが無意味に何度も挿入される。おそらくこれは撮影終盤まですっかりレン騎士団のことを忘れていて、時間が無いので無理やりシーンをねじ込んだのだと思われる。ベイかわいい。とてもかわいい。
 まだある。シナリオの支離滅裂さだ。お前は今まで散々シナリオの支離滅裂さを指摘したじゃないかと思われるだろう。そう、確かに今作のシナリオは支離滅裂だ。しかしその支離滅裂さはいつものベイのそれとは少し違う。
 ベイのシナリオでは設定はキャラ同士の掛け合いのなかで示される。あるいは示されたけどなんの意味も持たずどこかに消えてしまうんだけどまあそれは置いておいて、とにかくあまりはっきりとキャラが説明する事は無い。たまにこの寡黙さが上手く作用すると、いい感じにシナリオの支離滅裂さと意味の無さが覆い隠され、おっ、ベイはシナリオも悪くないじゃん!となる事もある。しなかった場合、支離滅裂でかつ全く意味不明な映画になったりもする。
 ところが「スカイウォーカーの夜明け」では登場人物がめちゃくちゃ説明する。もの凄く不自然に説明を始めるので次の展開が丸わかりだしなによりもの凄く不自然だけど、代わりに今何が起こってるのかは凄く分かりやすい。観客にやさしい映画なのだ。だからといってシナリオの支離滅裂さが減じる訳ではないが。
 ここまで読んで頂いた読者の方には気付いて居られるかも知れない。今作には今まで語ってたものより更に大きい、ベイ映画としては致命的な問題がある。

 「スカイウォーカーの夜明け」の監督は、実はマイケル・ベイではない。監督はJ・J・エイブラムス。もちろん副監督とか撮影監督とか製作総指揮とかでもない。マイケル・ベイは「スカイウォーカーの夜明け」に一切関わって居ないのだ。
 
 もちろんその映画がマイケル・ベイしているならその映画はマイケル・ベイ映画、それで良いじゃないかという考えもあるだろう。しかしぼくにはそこまで割り切って考えられない。やはりマイケル・ベイ映画マイケル・ベイマイケル・ベイしていなくてはマイケル・ベイ映画と言えない。ぼくはそう思う。

 結果としてタイトルとは真逆の結論に達してしまったこと、特に反省はしていない。ただぼくが言いたかったのは、「スカイウォーカーの夜明け」はマイケル・ベイ映画だと思えば楽しめると言うことだ。それを忘れないで。このレビューはここで終わる。みんな、フォースと共にあらんことを。

 あ、そう言えばパルパティーンがレンとレイの光と暗黒のフォースを吸い取りスーパーパルパティーンになる話しました?してない?レイがラストで特になんの前振りもなく金色のライトセーバー取り出すところも?話してない?しまったなぁ……まだまだツッコみたい……じゃなくて話したいところあったのに。

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