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ピーター・ドラッカーのデビュー作から考えたこと

先週はピーター・ドラッカーのデビュー作である「「経済人」の終わり」を読んでみました。
ドラッカーの作品はどれも知的刺激にあふれたものですが、デビュー作から非常に知的刺激にあふれるものでした。
 
本書は経営書というよりは歴史書に近いものがあります。特に1939年という第二次世界大戦の直前に書かれたものである為、特にファシズム・全体主義の分析を中心に書かれたものです。
経営書ではないものの、その後のドラッカーの思想の基盤が伺える本ではあります。
 
歴史書に近いものの、単に史実を並べるようなものではなく(本来の歴史書も史実を並べるようなものではありませんが)、非常に事象を構造化、本質を探究するような内容となっています。
その核となっているものは、20世紀初頭まで経済思想の中心であったブルジョア資本主義、マルクス社会主義が、戦争や恐慌等から自由、平等が守れなくなった結果、ファシズム・全体主義が生まれたというものでした。
 
しかし、ファシズム・全体主義がブルジョア資本主義、マルクス社会主義に取って代わるような新しい価値観を打ち出せたというかというとそうではなく、ファシズム・全体主義は全ての否定・破壊にこそ存在価値があるとドラッカーは看破します。それ故にこそ戦争があり、ユダヤ人への迫害があったと考えます。
 
そして、自由・平等を実現するような新しい価値観を打ち出せる勢力が現れた時に、ファシズム・全体主義は打ち負かされると予見していました。ファシズム・全体主義を模倣してドイツ・イタリアを打ち負かすのは全く意味がないと語られています。
 
その後、本書が予見していたユダヤ人迫害、独ソ連携(不可侵条約)が実現しますが、イギリスやアメリカ等の反撃によりドイツ・イタリアのファシズム・全体主義は崩壊しました。
 
しかし、ドラッカーが必要だとした新しい価値観の提示というのは、戦後77年経った今も本当にできているのかなと感じます。特に地政学的に不安定になっている昨今は、その思いを強くせざるえません。

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