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歴史上の人物から考える、「プライドが高い」は長所か短所か

歴史上の人物、それも偉業を成し遂げた偉人をつぶさに見ていくと、もれなく「プライドが高い」人だと思うのです。例をあげよ、と言われれば、いくらでもあります。むしろ、「プライドが高くない」人が偉人となった例をあげることの方が難しいのではないでしょうか。
 
しかし、私たちが一般的に「あの人はプライドが高い人だよね」という時には、だいたいネガティブな意味合いで語られるものです。なぜでしょうか。
なお、そのように評価される人のなかにも、実は偉業を成し遂げている途中の人もいると思います。そういう人は一旦置いておいて、ここで対象となるのは「プライドが高いながらも成果をあげられない人」です。
 
「プライドが高いながらも成果をあげられない人」とは、実は偉人と同じように「自分であれば、何か大きなことができる」と思いつつも、何もできないことが赤裸々になることを恐れ、自分の殻にこもる人なのではと感じるのです。これがよく、「プライドが高い」人がネガティブに評価されるケースです。
 
一方で、偉人は、「自分であれば、何か大きなことができる」という確信をもつがゆえに、大きなことにもチャレンジもするし、一度失敗しても再度チャレンジし、周囲の人々のアドバイスにも素直に聞くことができるのです。そして、成功するまでやり続けるのです。
これは全て「プライドが高い」人であるがゆえにできることなのです。
 
このように考えると、問題なのは「プライドが高い」ことではなく、「プライドが高いことがどのように活きるのか」だと考えるのです。つまり、プライドの高さゆえに、自分の無力が赤裸々になることを恐れて殻にこもるのか、自分の力を最大限発揮して、何ごとかを成し遂げるまでやり抜くのか、の違いなのではないでしょうか。
 
ゆえに「プライドが高い」人がいた時に、そのこと自体を欠点や弱みととらえてはいけないと思うのです。
むしろ、「プライドが高い」人が失敗を恐れず、チャレンジしようという環境を提供することも大事なのではないでしょうか。「プライドが高い」こと自体は否定されるものではないのです。

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