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がむしゃらに、一生懸命「強くなりたい、強くなりたい」と思った上で、本当の強さを目指すということ
2003年の大河ドラマは「武蔵MUSASHI」という、宮本武蔵の生涯を描いた作品でした。当時市川新之助と呼ばれていた現在の市川海老蔵が宮本武蔵を演じていました。
本作品の記憶はあまり多くないのですが、その中で今でも覚えているシーンがあります。それは、武蔵が、藤田まことさん演じる柳生石舟斎に戦いを臨んだシーンです。
それまでの武蔵は数々の強敵を倒し、無敵を誇っていました。とにかく、武蔵は強くなりたいと思い、身なりや決まり事などは関係なく、とにかく強くなって、相手を倒したいの一心でした。
しかし、そんな武蔵も、柳生一刀流の当主である柳生石舟斎には勝てず、初めて敗れます。
その時の石舟斎が言った一言が印象的でした。
「鳥の声や川のせせらぎの音が聞こえるようになりなさい。そうすれば本当に強くなれる。」
その後、武蔵は剣が強いだけでなく、人としても成長し、成熟していきます。フィクションとしてのシーン、セリフだったと思いますが、武蔵の前半生と後半生の違いを表現したような言葉だったのだろうな、と感じています。
ここで思うのは、武蔵が、始めは「強くなりたい、強くなりたい」と、とにかくがむしゃらに、一生懸命取り組んだ後で、「鳥の声や川のせせらぎの音が聞こえるよう」な人間になったことにより、本当の強さに至ったことがポイントなのでは、と考えています。
これが、「鳥の声や川のせせらぎの音が聞こえるよう」な人間になることが先だったら、どうだったのでしょうか。それはそれで幸せの形かもしれませんが、何かを極めるような人間にはならなかったのではないでしょうか。
本当に強くなろうとした時に、がむしゃらに、一生懸命取り組むだけで、ずっと周りが見えないようなことだと、本当に強くなるということにはならないのだと思います。がむしゃらに、一生懸命取り組みんだ上で、周囲のことも見えるような心の余裕をもつことも大事です。
しかし、始めから周囲のことばかり見ていたら、そのことが気になることばかり等で、がむしゃらに、一生懸命取り組むことは難しくなるのでは、という気がします。それでは、何かを極めることはできません。
特に若いころはそうですし、若いころでなくても新しいことを取組む等、何かにチャレンジする時には、はじめから周囲のことばかり見て気にするのではなく、とにかく「強くなりたい、強くなりたい」とがむしゃらに、一生懸命取り組むことから始めるべきではないでしょうか。その上で、周囲のことも見えるような心の余裕も兼ね備えることかなと思います。