偉業を成し遂げることと、人としての幸せ
最近、ガンディーの本を読むことが多いのですが、そのなかで衝撃的だったのは、ガンディーの長男は最後乞食のようになり、ガンディー暗殺後の数か月後にアルコール中毒で亡くなっていたことです。
なぜ「インド独立の父」であるガンディーの子供がそうなってしまったのか。もし興味があれば『ガンディーの真実-非暴力思想とは何か』(間永次郎著、ちくま新書)をお読み頂ければと思いますが、
一言で言えば、ガンディーが高い理想を目指し、追求すればするほど、犠牲になった家族や周囲がいたのかな、と感じます。
そして、ここまでくると時に喜劇のような感もあるのですが、家族や周囲が犠牲になるほど、ガンディー自身は自分が理想に近づいていないから犠牲が生まれるのだと、更に理想を追求するのです。その結果ますます家族や周囲が犠牲になるという悪循環です。
これはガンディーに限らず、歴史に名前を残す偉人をつぶさにみていると、しばしば直面する現実です。
もちろん家族や周囲に寄り添う成功者も世の中にはたくさんいるでしょう。
しかし、「おおマハトマ(偉大な魂)」とインド数億の民衆から尊敬され、独立の父となるような途方もない偉業には、少なくない犠牲があったのも歴史的事実です。
偉業を成し遂げることと、人としての幸せは別物であることを感じるエピソードです。