堕落することと、緊張感をもつことの違いは何からくるのか
世界の歴史のなかには時々「やばい」リーダーがいます。ここでの「やばい」とは、権力者であることから得られる富から、遊興三昧、放蕩三昧で遊びつくしてしまうようなリーダーのことです。
このやばいリーダーは世界各地にいるものの、感覚的なものはありますが、中国皇帝とフランス国王において、この種のやばい人物が現れた時は、やばさのスケールが半端ないように感じます。詳細は割愛しますが、絶句するような話しは多々あります。
なぜ中国皇帝やフランス国王が「やばい」時には、やばさのスケールが半端なくなるのか。
それは、両国ともに(タイミングの違いはあれ)中央集権化が早い時期から実現したことにより、富が権力者に集まりやすかったからではないでしょうか。加えて、民主政が進まなかったため、集まった権力者の富の使い道は権力者、つまり中国皇帝やフランス国王の素質次第、ということだったのです。
人間、大きな富が目の前にくると、おかしくなりやすいものです。
ましてや、当時の先進地域であった中国やフランスの富が一人の人間に集中したならば、おかしくなっても不思議ではなかったでしょう。
但し、おかしくならず、緊張感をもってこの富を使う政治をしょうとしたフランス国王や中国皇帝もいました。
これもここでは詳細は割愛しますが、こうしたリーダーはなんとなくアウトサイダー出身のリーダーが多かった印象があります。
例えば、フランス王家と血縁関係はあるものの、本流ではない人間が国王となったり、ナポレオンのように一軍人が皇帝となるような場合です。また、中国皇帝も、皇族のなかでも主流でなかったり、北方民族出身の人間が皇帝となる場合には、緊張感をもって政治にのぞんでいたことを感じます。
北方の満州民族が建てた清帝国では、過労死するような皇帝も現れています。
これが意味するところは、本流でないが故に他からの評価、批判にさらされやすいと、堕落することが少なく、緊張感をもってことに臨むことが期待できることと考えます。
もちろん緊張感がある中国皇帝、フランス国王が生まれたのはその要因だけではないでしょうが、他からの評価、批評にさらされることの重要さを感じます。