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作家デビュー

作家デビューは2022年の当時の前日12/21、note.comに記事をはじめて公開した日です。
それまでもFacebookやTwitterに投稿していたが、単に1ユーザとしてのこと。今回は「作家」を本業にすることにした。

なぜ、作家?

文章を書くことは好き。
文字も好き(日本の古代文字とか、漢字の由来とか、英単語の由来とか、自分なりの速記法とか)。
好奇心旺盛。例えば、定年前退職してからだけでも、色々手を出すがそれを本業とするのとは違った。いくつか取り組んだコトを挙げると、

・ある会社のビジネスをサポートする仕事。
⇒小さな会社だったので、それ以前に勤めていた大企業の仕事スタイルとは違い断念(半年)。と言うか、大企業だと枠組みがある程度シッカリ決まっていて、その枠組みの中の歯車を自分なりに工夫して取り組んでいたが、それは「枠」があっての能力。「枠」が無いし、自分の色んな財産(技術力、交渉力、人脈など)もアヤフヤだったので実力不足だったんだと思う。

・コーチングを学ぶ。
私が退職した3ヶ月後に、ある後輩も退職。その後輩が外資系企業に転職したが、相当ストレスがありコーチを付けたところ復活。「コーチングを一緒に学ばないですか?」と誘ってくれたのがキッカケ。在職中から興味はあった。小さな会社をサポートする仕事が頓挫していたので、トライすることにした。
⇒一旦、天職かと思った。コーチの資格まで取った。実際コーチング経験を積む必要あるので年単位の時間が掛かった。でも、コーチという枠に入りたくない自分がいた。学び初めのワークショップの時、リーダ(ワークショップをリードしつつコーチングの在り方や技術を伝えてくれる役割の人)のひとりが「コーチが要らない世の中になれば良い」との発言が関係しているのか。このあたりから「枠」に囚われない存在が自分に合っていると感じていたのかもしてない。コーチングを学んでの成果のひとつは「リーダは何を考えて、どんな背景でワークショップに取り組んでいるのか?」との疑問/問いが生まれたこと。この問いを突き詰めたくて、ワークショップのリーダを養成する意味も込めた、リーダーシップ研修を受けることにした。

・リーダーシップ研修。
10ヶ月。1週間泊まり込みが4回。その中で自然の中でワークショップを仲間と開催(しかも、いきなり1泊2日)。「枠」も何も無いところから創ることを学んだ。その中に日本的な智慧も。いや、誰もが持っている「人とは何か?」という問いについて、色んなワークで体験的に学び始めた期間だったようだ。

この後、社会を変える活動に加わっていた。
・「チェンジ・ザ・ドリーム」シンポジウム
・トランジション・タウン活動
他の仕事も並行してやってた。
・研修講師(コーチングとか)
・レンタカーの回送(「乗り捨て」のレンタカーを元の営業所に戻す)

・南米アンデスとアマゾンの先住民に会いにゆく(ツアーに参加)。
いにしえの暮らし、日本と変わらぬ親から子供への思いを体感できた。そして近代化・現代化(例えば教育、医療)を現地の方も望んでいるが、壊されたくない暮らしもあること。その中で未来を千t無くしようとしているのは日本の親も、彼の地の親も変わらないな、と。
⇒この後、天河神社で開催したワークショップが終わってからか、イベントごとでなく暮らしに根ざしたスタイルだなぁ~、私が求めているものは、と気付いた、その時は。

・障害者施設(自閉症の方々が対象、通所)で働く。
最初は送迎のドライバー、その後支援員として利用者さんとクッキーを作る。クッキー、めっちゃ美味しい。良質な材料を使っているだけではない、利用者さんの「何か」が伝わっているとしか思えない。一言で表すなら「素」のままで、彼ら彼女らがクッキー作りに立ち合っているからの味、と思えた。職員や支援員は「素」だけではいられない、雑念いっぱいだからね。
⇒次にある「熟成やきいも」の仕事をスタートして、支援員の仕事が負担になり退職。

・「手作り工房ひなた屋」という自営業を始める。
最初は酵素ジュースから。そして遠赤外線オーブンを買って「熟成やきいも屋」を始めた。最初はイベント参加。その後自宅で開業。長く続いた。何年だろう。5年以上か。芋を丹念に洗い、水を¥ぬぐい、へたをカットし、オーブンへ。・・・。焼けたら、粗熱を取ったら、さらしの袋に入れて冷蔵庫へ。袋に貼り付けるシールも手作り。初めは慣行農サツマイモを使っていたが、自然農のサツマイモへシフト。誰でも出来るが、ひなた屋なりの焼き芋になった。

・無農薬野菜の配達(アルバイト)。
軽四で大阪を飛び回った。繁華街・法善寺横丁のお店とか、すごくコダワリをもっているお店とか、今まで経験してこなかったところで仕事ができたのが良かった。

⇒芋を焼くのは好きだし、車の運転も好きだが、あまりに時間が取られる。いや、他にやりたいことをやろう、とやめた。白内障になり、手術し回復。しかし、夜、交通事故を起こし(物損)のもキッカケのひとつ。身体を酷使せず、好きなことをやれれば、と。

作家デビューのキッカケ

対外的な活動はほとんどせず、本やネットで、3つの課題について「調べて試す」を繰り返していた。これは定年前退職するときからのテーマだ。

3つの課題
・健康であること
・世の中を知る
・実感を求める

だから、色んなコトをやってきた面がある。いや、そのものやん。

そんな中、ある人が坂口恭平さんの存在を教えてくれた。中学生の娘に勉強の「段取り」を教えたのが作品になっていた。最初はnote.comに掲載、そして本となったようだ。

note.comで読んだ。何だろう?無理が無い。無理しない。その時、降ってきた言葉をそのまま文字にしてある。直接関係ない、書いてる時起きた小さな出来事も書いてある。なんて自由なんだ。えっ、この人どんな人?ネットで調べ、いくつかの本を図書館で借り読んだ。「いのちの電話」と呼んで悩み事相談を無償で受け付けている。時にはお金を上げている。国も作った。「0円ハウス」が著作のスタート。うぅ~ん。飛んでる。躁鬱病をほぼ克服している、いや飲み込んでしまっている。個性のひとつと受け止める境地になっている。面白い!

実は、私、ときどき動きが止まります。活動が止まります。でも、食欲は常にあります。だから鬱では無いと思っています。多分、サラリーマン時代、働き過ぎたのでバーンアウトしているというか、疲れを疲れと感じられない体質になってしまったのでしょう。しかし、有り難いことに身体はストップを掛けてくれる。で、活動が止まる。止まったら、テレビを見続けていると戻ってくる。テレビは好奇心を煽るところもあるが、好奇心をある程度は満足させてくれる。知らない世界を見せてくれる。と、気持ちが満たされる。しかし、調子が戻ってくるとテレビの「あざとさ」が気になる。そして活動再開。しかも前と違った方向で。

と、坂口さんの躁鬱とは違うが、波があるのです、私にも。

彼の表現したいことのひとつは「好きなことをやれば継続できる。やり続ければ仕事になる」ということだと理解しています。書きものはnote.comで無償で誰もが読める。それを書籍化する。出版社に頼まれて書いているので無く、好きなことを書きためて公開してあるのを出版社が「出版させて」と頼みに来る。絵も、自分が好きな絵を描く、そして値段も付ける。多くの人が買う。何か発想が、本来的。みんなが好きなこと続けられることをやっていって、成り立つ社会って、理想の社会では無いか。凄い実験、いや実生活をやっている、芸術活動として、現代社会の枠組み的には。この発想、まだマイナーだから芸術家なのかもしれない。政治家でも、社会活動家でもなく芸術家。いや、人は皆、芸術家なんだ、もともと。このことを思い出させてくれた坂口恭平さんには大感謝!

ってことで、ここまでpomeraを使って書き始めて3時間。一度トイレで席を外したがそれ以外ずっと机に向かって書いている。パソコンだとついついネット検索してしまうが、文書作成に特化した単機能マシンはありがたい。私が好きで続けられることのひとつが「書く」ことであるのは間違いないようだ。だから、作家デビュー。日々書き続けます、日々食べるように。

実は、このpomeraを手に入れたのは去年の10月。「中学生のためのテストの段取り講座」を読んだのは今年7月。そして作家デビューは今12月。pomeraを入手したときには既に、どこか、心の奥底で、デビューを決めていたんだろう。

人って、面白い。


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