【認知的不協和理論】「ネトウヨ」と「リベラル」を分けるもの【脳の構造】/「歴史否認」「陰謀論」はどこから生まれるのか?――②「保守派」と「リベラル」の『脳の構造』の違い
【認知的不協和理論】「保守派」と「リベラル派」の違いはどこから生まれてくるのか?
人は生まれたときから、“ピラミッド構造”の競争社会のストレスの中で生きていかなければならない。その中で様々な《認知的不協和》が生じてくる。
それはどんな国家・地域・政治体制・組織・企業でも、また、今も昔も、いつの時代でも同じ。
【認知的不協和】『古い認知』と『新しい認知』
その抑圧(ストレス)の中で、いろいろな軋轢、対立、抗争、戦争、犯罪が発生し、それを解消するために、様々な思想・哲学・宗教・制度・・・が生まれてきた。
その『古い認知(価値観)』の中で、「理想の(褒められる)自分」と「現実の(叩かれる)自分」、「自分の価値観(やりたいこと)」と「親の価値観(やらせたいこと)」、その不協和の中で様々な問題が生まれてくる。
その負の連鎖の中で『古い認知』に疑問を持った者の中から、暴力の連鎖を断ち切るために『新しい認知』が生まれてくる。
その『古い認知』と『新しい認知』の【認知的不協和】の中で、自分の“行動”を正当化するために『古い認知』を絶対化しようとする「保守派」と、その『古い認知』を懐疑し、『新しい認知』を取り入れ、改革していこうとする「リベラル派」に分かれていく。
“ピラミッド支配構造=権力者・組織・既得権益”を守ろうとする「保守派・御用学者・ネトウヨ・改憲派」”に対して、その構造を改革し、権力者の責任を追及し、“人権尊重・格差是正・差別反対・自然との共生”を目指そうとする「リベラル派・護憲派」”に分かれる。
国家と自分を同一化しようとする「保守派」と、国家から自立しようとする「リベラル派」に分かれる。
自分の行動(「国の為に死ぬ」=暴力・軍国主義・大日本帝国・靖国神社)を正当化し、侵略を正当化しようとする保守派(改憲派)と、侵略戦争の反省から、暴力(戦争)の連鎖を断ち切り、持続可能社会を目指すリベラル派(護憲派)に分かれる。
そして保守派は、その自分の行動(暴力・侵略)を正当化しようとする「認知バイアス」がかかり、認知を改変する。
そう主張することによって、自分の行動(支配↔服従)を正当化しようとする。
その主張の裏には、無意識のうちに『ピラミッド支配構造(権威主義・軍国主義・全体主義=大日本帝国)』を正当化しようとするバイアスがかかっている。
その「保守派」と「リベラル派」に分かれる原因はどこから来るのか?
【脳の構造】「保守派」と「リベラル」の違い
それを図で表してみると、↓のような傾向があると言える。
つまり、「保守派」は周囲の脅威に敏感で、自分の存在を守ろうとする防衛本能から『古い認知』(規則ルール)を絶対化し、権威主義・全体主義・排外主義的行動をとりやすい。
縁故主義・友達優遇・利権拡大・地位保身に走り、規則の絶対化・家父長制・男尊女卑・夫婦同姓・スパイ防止法・厳罰化・軍備増強などを主張し、他者に強制し、異質者を攻撃・排除することで仲間意識を高め安心しようとする。
それはつまり、「『問題』が生じたとき、あるいは『脅威(不安・恐怖)』に襲われたときの脳の反応と、それにどう対応し、どう行動するかによって、“保守派”と“リベラル派”に分かれる」と言える。
『前頭葉』と『扁桃体』との関係(抑制機能)において、
という傾向があると言えるだろう。
つまり、不協和(不安)が増大したとき、
例えば
『古い認知』と『新しい認知』
『信じてきた認知』と『否定する認知』
『自分の常識』と『他者の常識』
『自分の行動・信念』と『他者の行動・潮流』
『理想の自分』と『現実の自分』
『成功・勝利』と『失敗・敗北』
など、自分の思い通りに行かないとき、どのようにして、その不協和を解消しようとするか⋯
それはその人の《脳の構造》によって決定されると言っていい。
例えば、地球温暖化に対して
それは公共事業や五輪万博リニアなどにしても
海が埋め立てられ、木が切られるのを見てどう感じるのか?
また“LGBT法”や“夫婦別姓”にしても
そして、それが「保守派」と「リベラル派」に分かれる原因となる、
つまり、それは言い換えると、人間は昔から、どの時代も、どの地域・国でも、どの宗教・政治体制でも、「保守派」と「リベラル派」に分かれている(分けることができる)ということになる。そして、それは『脳の構造』に依存している。
例えば『宗教』は、常に「支配者による支配の正当化。権威主義。差別排除」の側面と、「支配者の抑圧からの解放。改革。弱者救済。平等」の側面を持つ。
それは“統一教会問題”でも、“ジャニーズ問題”でも、弱者・被害者側に立って考えるか、権力者側に立って、《権力構造(既得権益)》を守ろうとするかに分かれる。
それは『共産主義』も『明治維新』も同じ。
そしてそれは、往々にして《後者》から生まれ、戦い(革命)の後に、やがて《前者》へ移行していく。
権力抗争の中で、
強者・権力者・独裁者に同一化し、弱者・少数者・反対者を支配・服従させることで不安を解消しようとする“認知バイアス”がかかっていく。
その中で“とんでも校則·規則·道徳・風習·愛国心·国旗国歌”などを強制し、反対者・弱者・少数者を攻撃することで、優越感・万能感を得ようとする。