【認知的不協和理論】日本型ファシズムの成立【心理的メカニズム】ーー①「保守派」と「リベラル派」を分けるもの
【認知的不協和理論】とは?
それによると、人はその不快感やストレスが高まると、それを解消しようとする心理的圧力がかかり、矛盾する認知の定義を変更したり、過小評価したり、自身の考えや態度や行動を変更しようとする。
その考え方を【認知的不協和理論】という。
フェスティンガーによる認知的不協和の仮説(命題)
人は、小さい時から、「○○でなければならない」とか「✕✕してはいけない」というように教えられ、それを守って行動している。しかし、それは個人によって、国・地域によって、時代によって違っていて、自分が思い込んでいる『価値観・信念・行動』と違った他者を見たとき、心の中で“不安・恐怖・不快感・苦痛・怒り”などが湧いてくる。
例えば、見知らぬ地域で、違った格好をしている人、違った地方から来ている人や外国人などを見ると、無意識の内に“不安・恐怖”を感じ警戒して行動する。
同じように、自分は「△△しなければならない」と思い込み、一生懸命にやっているのに、他者が「別に△△しなくても良い」「△△するな」と言ったり、また、他者に「〜して欲しい」と思っているのに、しなかったとき不快感や怒りが湧いてくる。
逆に、見知らぬ土地で、同じ出身地の人や、同じ行動を取る人、同じ価値観の人、同じ趣味の人に出会うと“安心感・快感・喜び”を感じ、そこで集団を作ろうとする。
例えば、違った方言の人を見ると不安・恐怖を感じ警戒するし、逆に同じ方言の人を見ると安心・快感を感じ喜ぶ。
つまり、そのことは、人は無意識のうちに『不協和状態』(不安・恐怖)を避け、『協和状態』(安心・快感)を作ろうとしているのである。
【認知的不協和】を解消しようとするする行動
1;人は不協和があるとき、その不協和を低減・解消させるために何らかの圧力(行動)を起こす。
具体的には“古い認知”か“新しい認知”のいずれかを否定する傾向にあり、
そのどちらかのことが多い。その場合、比較的「変えやすい」方の認知を変えることで、「絶対に変えられない」認知を正当化しようとする。
そして、自分のその行動(選択)を正当化するために
2;不協和を低減させる圧力の強弱は不協和の大きさの関数である
不協和の度合いが大きいほど、それに比例して低減させようとする圧力は大きくなる。
●『自分の価値観』と『周りの価値観』との不協和が大きいほど⋯
●『理想の自分』と『現実の自分』との不協和が大きいほど⋯
心の中の『不安・恐怖・不全感・劣等感・不快感・ストレス・怒り』が大きくなり、それを解消しようとする圧力が高まり、冷静になって客観的・論理的・合理的・体系的な思考ができなくなり、短絡的・衝動的・攻撃的・破壊的・暴力的行動をとりやすくなる。
すぐキレたり、嘘をついたり、アルコールや薬に手を出したり、また、詐欺に簡単に騙されたり、陰謀論やカルト宗教に嵌りやすくなったりする。
【認知的不協和】の例
ⅰ.タバコの例
認知的不協和の例として、よく知られるのがタバコ。
このとき“認知的不協和”が生じる。そこで認知的不協和を解消するためには行動(認知1)を変更して、
これで不協和が解消できる。
しかし、喫煙の多くはニコチンに依存する傾向が強いため、禁煙行為は苦痛を伴い、結局は「禁煙」できない人も多い。その場合は、認知2に修正を加える必要が生じてくる。そこで⋯
「タバコを吸い続ける」という行動(認知1)を正当化するために、認知4・認知5を付け加えることで、認知2を否認したり、矮小化しようとする。そうすることで、自分にとって都合の悪いことを見えなくする。
ⅱ.「酸っぱい葡萄」の例
また同じように、イソップ童話の中に『酸っぱい葡萄』という話がある。お腹を空かせた狐が、葡萄を食べたいのに、高い所にあるために取ることができず、諦める話で⋯
この不協和を解消するために、狐は『新しい認知』を追加する。
そう考え、決め付ける(認知を変更する)ことで、認知2の葡萄を取れなかったという“動かすことが出来ない事実(失敗)”を正当化し、不協和を解消しようとする。
ⅲ.地震の後に『デマ、噂、流言』が拡散する原因
人は、自分の中の不協和が大きいほど、不協和を解消しようとする心理的圧力が強まり、冷静になって客観的・論理的・合理的な思考することができなくなり、感情的・短絡的・衝動的になる。
そうすると⋯
●『デマ・噂・流言』を信じ込みやすくなる。
●『詐欺・マルチ商法・占い・カルト宗教など』に嵌まりやすくなる。
そうすることによって、自分の中にある認知的不協和を解消しようとする。
それが地震の後の『デマ・噂・流言』が広まる原因となる。自分の中の“不安・恐怖”を正当化するために“デマ・噂・流言”を信じ、それを吹聴・拡散することで、『自分』と『周り』の不協和を解消しようとする。
地震の後の混乱の中で、
「自分の感情(不安・恐怖・ストレス)」と「周りの雰囲気(平穏・平和・日常生活)」の間の不協和が拡大するうちに、自分を正当化したいという防衛本能が働き、『デマ・噂・流言』を信じ、拡散し、周囲の不安・恐怖を煽ることで不協和を解消しようとする。
つまり、自分の心の中の「不安・恐怖・ストレス」が大きいほど『デマ・噂・流言』を信じ込み、それを拡散し、周囲の不安を煽ることで『自分の感情』を正当化しようとする。
《自分の感情・価値観》と《周りの雰囲気・価値観》のギャップ(不協和)が大きいほど、《自分の感情・価値観》を正当化しようとする心理的圧力が高まり、デマや陰謀論を信じやすくなり、それを拡散することにより認知的不協和(ギャップ)を解消しようとする。
そこではしばしば理性や冷静さが失われ感情的・攻撃的になり、他者を誹謗中傷する。→朝鮮人虐殺。
ⅳ.洗脳
①カルト宗教
このとき認知的不協和が生じる。
このとき、もし認知2の献金が少額であれば、「騙された」と信者を辞めれば良い。⋯しかし、全財産を処分し行く所がない場合、不協和を解消する手段として、“新しい認知4”を追加する。
つまり、行く所がなく、教団に残るという行動を正当化するために新しい認知を追加する。
②ブラック企業
このとき認知的不協和が生じる。
このとき、例えば、賃金が高ければ、不協和は低く我慢ができるのだが、それは到底無理そう⋯。そうすると不協和を解消するために新しい認知を追加する。
そうして自分の「仕事を続ける」という行動を正当化する。
つまり共通して、「カルト宗教」も「ブラック企業」も、物理的にも精神的にも逃げられない状態の中で、教祖・経営者に《服従する》ことを選択するようにコントロールされている。
③体罰・虐待・DV
それは『体罰・虐待・DV』でも同じで、親・配偶者や教師・指導者に『逃げられない状態』の中で、殴られていることを正当化するようになる。
このとき認知的不協和が生じる。そこで、この不協和を解消するために、新しい認知を追加する。
そうして、いつの間にか体罰を正当化するように認知を変更する。
そうして『認知の歪み』が生じる。
【認知的不協和理論】と脳の活動
『個人差』が生まれる仕組み。ーー「保守派」と「リベラル派」
人は自分の行動の正当性するために認知を変更する。そして、「自分の行動は正しい」と主張するために、他者の行動を批判する。
例えば、『カルト宗教』や『ブラック企業』で、行き場がない状態で教祖や経営者・親分に従っている内に、「教祖(経営者・親分)は素晴らしい人間だ。神の生まれ変わりだ」と思い込んでいくと同時に、批判者に対して「あいつは自分達を貶めようとしている。悪魔に操られている」という被害妄想が湧いてくる。
同じように、煽り運転を繰り返す人は、「相手から煽ってきた」と言うし、体罰や虐待を繰り返す人は、「子供が言うことを聞かないので、躾のためにやった」と言うし、嘘つきは大抵「相手が嘘をついている。自分を貶めようとしている」と主張し、自分の行動を正当化しようとする。
また、人は自分が育った環境を正当化するために「日本に生まれて良かった。日本人で良かった」とか、「昔は良かった。今の若者は⋯⋯」と言いたがる。そして、他者に対して声高に「あいつは我儘(わがまま)だ。自分勝手だ。甘えている。考えが足りない。嘘をついている」と批判、誹謗中傷することは、暗に「自分はそうではない。自分の行動は正しい」ということを周りに主張しているのである。
そこには、「自分の行動を正当化したい。認められたい。否定されたくない」という『心理的メカニズム』が働いている。
人は、自分の行動(やってきたこと)を正当化するために、認知を変更する。
小さい時から良い大学に入るために必死に頑張ってきた人は、受験競争や学歴社会・学閥というものを正当化しようとし、また、体育会系でオリンピックや甲子園などを目指して必死に取り組んできた人はオリンピックや甲子園を正当化しようとする。
同じように、「金持ちになりたい、他者より裕福な生活をしたい」と思って必死に走っている人は、「経済成長より自然保護が大切」「差別は良くない。格差是正をすべき」「リニア反対、埋め立て反対」という主張に対して激しく攻撃する。
それは『奴隷社会』の中で育った奴隷が、『奴隷制度』や『主人・使用主』を支持し、自分が『奴隷』であることを正当化するのと同じ。
『競争、管理、差別、男尊女卑、家父長制、慣習、体罰、カルト宗教⋯』の中で育ってきた人が、それを肯定し、その制度を守ろうとすると同時に、「ゆとり、自主性、男女平等、ジェンダーフリー、夫婦別姓、性教育、体罰禁止、死刑廃止など」を主張する人に対して激しく攻撃する。
しかし、その硬直した社会体制の中で徐々に歪み・矛盾が拡大し、問題が顕在化していくと、いずれその制度に疑問を持ち、反発する者が出てくる。
例えば、スポーツで体罰を受けてやって来た人でも、徐々に歪みが拡大していくとともに、体罰に賛成な人と、反対の人に分かれる。その『権力支配体制(既得権益)』を守ろうとする者と、反抗し、改革していこうとする者が出てくる。
その『個人差』••••••「今までの行動・体制・制度を守っていこうとする人」と、「より良い方向へ変えていこうとする人」の違いはどこから生まれてくるのか?
『個人差』は、どこから生まれるのか?
例えば、「保守派」と「リベラル派」を分けるものとして、「国旗国歌」に対してどう感じるか?というのがある。
また「選択的夫婦別姓」や「LGBT理解増進法」に賛成か反対か。
さらに「体罰」について、
それは人それぞれで、どっちが正しくて、どっちが間違っているというものではない。ましてや「勝った、負けた」ではない。それは自分の行動を正当化しようとしているのである。
それは「タバコを吸う」のに「賛成か」「反対か」の“違い”に過ぎない。つまりニコチン依存症の人はタバコがやめられなく、その行動を正当化するように認知を書き換えるのと同じ。
「保守派」と「リベラル派」
それは“自分の行動を正当化するために認知(感情・好み・価値観)を書き換えている”のである。そして、それは「自分かどう生きてきたか?」また、「どう生きたいか?」を反映している。
それは「保守派」と「リベラル派」も同じ。
そして、その自分の行動・価値観・信念を正当化するために「認知を変更」していく。
『国家・権力支配体制』と同一化(依存・服従)している《ピラミッド思考》の人は、性悪説を主張し、規則ルールや習慣・慣習や礼儀、既得権益を絶対化し、それを他者に強制しようとする。[保守派、改憲派、ネトウヨ・カルト]
それに対して『国家・権力支配体制』から独立(自立・反抗)している《フラット思考》の人は、性善説を主張し、規則ルールや習慣・慣習や礼儀を改革し、自由と平等、公正な社会を作ろうとする。[リベラル派、護憲派]
その思考の分かれる原因は、どこから来るのだろうか?
『個人差』が生まれる仕組み【脳の構造】
【認知的不協和】が拡大したとき、それを解消するためにどう行動するか?どういう《選択》をするのか?そこで、人それぞれに『個人差』が出てくる。
そして、その分かれる原因として、【脳の構造】が大いに関係している。
自分の思い通りに行かないとき、欲求が満たされないとき、他者から自分の行動を批判されたとき、(つまり『認知的不協和』が生じたとき)どのような行動をとるか、どのような選択するかによって、その人の『個性』が表れる。
例えば、まだ脳(前頭前野・理性)が十分に発達していない子供は、「親に甘えたい。構ってもらいたい。認められたい」という本能・欲望に対して、親の虐待・ネグレクトや過干渉によって、【認知的不協和】を引き起こし、それを解消するために様々な問題行動(非行・いじめ・反抗・癖・病気)となって表れる。
そして、それは大人でも同じようなことが起きている。
物事を進める上で、
・問題が起きたとき、
・自分の思い通りに行かないとき、
・他者と意見が衝突したとき、
・失敗してしまったとき、
など、【認知的不協和】が拡大したとき、どう行動するのか?
そのことが、『政治的スタンス』の違いとなって表れてくる。
その政治的スタンスの違いはとこから生まれて来るのだろうか?