人に成るってむずかしい
日本では1月13日の今日は成人の日。成人の日、おめでとうございます!
成人を迎えた本人はもちろん、ここまで支えてきた保護者や周りの大人の皆さま、本当にお疲れ様でした。成人を迎えることは、本人にとっても親にとっても、一つの節目であり、区切りでもありますよね。
毎年この時期のふわふわの毛皮のショールに振袖の若者を街で見かけると思わず目で追ってしまいます。この若者に幸あれ!と心の中で思わずにいられない。
とはいえ、私はこういう華やかな場には行けなかったのと、上の2人の娘たちも成人式には出ていないのでなんとなく成人式はテレビの中の別世界の物。この時期、実家では共通テストが雪に影響されないかをみんなでハラハラしていました。
自分の場合、成人式に行かなかったのは転勤が多かったため地元という感覚がなく、成人式に参加する場所がどこにもなかったから。実家のある千葉には友人がいないし、高校も同じ千葉とはいえど別のエリア。以前住んでいた東京もイギリスから戻ってからの3年ほどしかおらず、千葉の高校に行ったのもあり関係が続いている人はほぼゼロ。
結局、振袖の写真だけを撮ったのですが、絶賛過食嘔吐期だった当時の私は、顔がぱんぱんで黒歴史すぎるので、リアルに1度くらいしか見ていません。かなり高いお金をかけてくれたのに申し訳ない。
子育ての節目と手離れ
この成人のタイミングで親としても子育てが一区切りついたという気持ちになるかもしれません。でも私は、一区切りついて子供が手を離れた、と思えるのはいつなんだろう、といつも思っていました。
上の2人の子どもは現在21歳と19歳。高校を卒業してそれぞれの道を歩んでいます。でもここ数年は手が離れるどころか、すごく波乱の時期でした。二人とも若さ特有の危うさや女性ならではの難しさ、そして家庭のもろもろが絡みあり、非常に不安定な中、次へと色々なことが起きて胸が痛いことばかりでした。本人はもちろん、自分含めた周りも心をすり減らしました。
そして、自分の場合シンガポールと日本という距離的なこともあり、すぐに飛んでいくことができない。子どもが辛い思いをしているのに、親として何もできない、手を差し伸べても拒絶されてしまう、そんなもどかしい日々もありました。
あの頃は朝、スマホに今日こそ日本にいる母から訃報が届いているのでは、と思う日々。
当時はそれが永遠に続く気がしていて、そもそもどういう状態になれば子供が離れたと言うのだろうと思っていました。
https://x.com/kellyangyang/status/1868651629677002852
でも、ここにも書いたように、最近ふとこの子はきっと何があっても自分でなんとかできる、と信じられる、それが子供が親である自分の手を離れたという事なのではと思うように。
いつ子供たちの心が折れないように、またなにかしないように、声をかけたり関わっていないといけない、できる事は限られている中で関わりながら、いつみ時限爆弾をかかえているような気持ちでいました。
でもふと去年を振り返ると心配よりも、しっかりしたなと思う事の方が多かったと気づきました。やっと安心できるというか。そういう意味で上の子たちは手離れしたのかもしっrません。
まともな人間を世に送り出す
子供を持つ親の仕事は、一人のまともな人間を世の中に送り出すことだとずっと思っていました。つまり、自分で生計を立てて、納税して、世の中の役に立つ人として社会に出すことが親の務め。正直、これが最低限で誰でもそれくらいはできると思っていたのですが、最近意外と簡単なことじゃないと気付きました。(本当に白目)
ニュースでよく「まさか隣のあの子が」と周りの大人が言っているのを見ますが、近所の人はもちろん、親もそう思っているのでは。色々な事があり、事件が報道されるのを見て今では自分の子どもが被害者になる事を心配するのはもちろん、加害者になるかもしれないという現実に怖さを感じます。
特に今の時代は、スマホやインターネットでよい情報も悪い情報も簡単に手に入る。昭和育ちの自分には分からないリスクがたくさんあります。
そして「人に成る」って、ただ収入を得たり、学歴を積んだりするだけではないですよね。それができていても、側から見たらキラキラに見える大人でも、非人道的な行動をしたり、信じられない悪意をふりまく人もいます。だからこそ、年齢関係なしに「人に成る」って本当に難しいと痛感しています。
反省から学び2ターン目中
子育てを振り返ると、反省ばかりです。
上の2人に対しては、家庭が落ち着かず、子育ての反省文にも書きましたが、いろいろな辛い思いをさせてしまったなと感じています。でも、その経験を下の子たちに活かしたいと思い絶賛2ターン目の子育て中。
今、7歳と5歳の下の子たちを育てながら、改めて「まともな人間」とは何かを考えています。「世の中に迷惑をかけない人に育てる」なんて簡単に思っていたけれど、そんなことは全然なくて、日々向き合い、ハゲそうになりながら悩むことの連続です。
下の子たちが大人になる頃、私は50代半ば。長い道のりですが、せめて健康で頭がシャキッとしていられるよう、頑張りたいと思います。とりあえず、筋肉と体力!
4人で撮った宝物の写真
上の子たちが成人を迎える節目として、去年の秋、日本に帰ったときに家族全員で着物を着て写真を撮りました。ダブル成人式と七五三というカオス。でも夢が叶いました。
私は本当に安定の女将感満載。実際、オイシックスでおせちを売っていた時は自前の着物を自分で着ておせちを持ちヤフーショッピングのバナー素材として使っていました。
そんなカオスな5人の写真のうち、娘と下の子等がもみくちゃになって笑うスリーショットが長女のも次女のも本当に本当によい表情で一生の宝物です。
あと、家に眠っていた着物、特に私が着ることのできなかった振袖を娘に着てもらえたのもよかったです。ちょっとした供養。
成人の日に色々ふりかえり、成人が「人に成る」と書くのだと気づいて、深い、そしてなんてむずかしいのだと思った今日でした。
子どもたちが「人」として世の中に貢献できる存在になれるよう、私ができることは何か。せめて「まともな人間」にはなって欲しい。自分のまだまだですが、子どもたちと一緒に成長していきたいと思います。
いやー、長いですね、子育て。まだまだ頑張ります。
私の自己紹介はこちら「けりーはなにしている人なのよ?と思っている人へからどうぞ。子供4人のひとり親としれ一馬力でシンガポールでキラキラしない生活をおくっています。
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