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あの人好きでも嫌いでもないよと言われるよりも、「かなり好き」と「かなり嫌い」みたいに評価が分かれる人間のほうがよいと自分は心のどこかで思っている気がする。じゃあお前はどっちなんだ、と言われてもこればっかりは他人のお気持ちなのでよくわからない。これまでの人生でなんとなく感じてきたのは、私には生きているだけである一定の人をむかつかせる何かがあるらしく、男女関係なく、しかも話したことがなくても私のことを嫌いな人もそこそこいたなと感じているけど、その一方で人生の後半半分くらいずっと仲良くしてくれている人もいる。後者だけでも大事にすればいいんだよ、みたいな話は教訓ツイッタみたいいので流れてくるけど、ほんとの意味でそう思えるタイミングというのは人それぞれである。どこに行ったってほとんどの人から嫌われる人もいるし、コミュニティ関係なく人好きのする人もいるのは事実なんだろうけど。前の職場で私が嫌いだった男のことを(他の人にもかなり嫌われている)、私が嫌いだったおばさん(他の人にもかなり嫌われている)がべつに嫌いではないと言った時私はすごく興奮した。
どうでもいい話をまだnoteに書いている。。。早く移行したいょ。。。
仕事本格的にはじまる。全体として悪くない。もちろん波もあるけれど、数ヶ月前よりもだいぶ立て直せた気がする。いろんなこと気にするのめんどくさくなった。人間のことぜんぜんよくわからないのに、人間への理解を求められることへの労力にお金が払われている気がする。
急に涼しくなった。最近は弟とごはんを食べる機会が多いので気持ちがよい。私が心から気兼ねなく話せるほんとうに世の中で数少ない人である。金髪マッチョで柔道耳なので変な人間にからまれることもないだろうという安心感もすごい(普通に生きていてもあんまりないんだけど)。気になっていたアイスでも食べて帰ろうかと思ったけど涼しいので計画を取りやめる。弟が人気ドーナツ屋の列を見て「あれべつに全然ふつうだし並ぶ価値ねーよ」とデカい声で言っていて、私はこういうことをよくやってしまうらしく夫に言われるのだが、これは育った環境なのかと思っておもしろいと思った。しかし別に親がそういうことをやっているのかといわれると覚えもない。カレーを食べたあともらったハッカの飴がでかかった。弟は黒飴を食べながら「なぁ、黒飴がいちばんうまいんだよ」と言っていた。私はこういうことだけを覚えていたい。
30歳になって楽器をまた新たに始めたが、なかなか近くに大手楽器教室がなくスタジオでフリーランスの先生に教わっている。みんな普通によい先生だったのだけれど、私の神経がこまかくて自分で嫌になってしまうのだが、つまらないことがどうしても気になって何度か先生を変えてもらった。もともと話が長くて私が楽器をさわる時間が短いな、と思ってはいたのだけれど、ある真夏の日「顔から汗が吹き出てテカテカですよ(笑)エアコン下げていいですからね!」と言われて、その気遣いが最後のひと押しになり、それが最後のレッスンとなった。今の先生はうちの猫みたいに絶対に目が合わないし体が小刻みに揺れているけれどぜんぜん気にならない。なんというか、いろんな相性があるよなと思う。
はやく12月にならないかな〜!