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ベルサイユ宮殿にいったはなし
去年の3月、前任校の学生と一緒にフランスとスペインに旅行にいった。フランスではいろいろみたけど、一つはベルサイユ宮殿にいった。
こりゃ~すげ~・・とおもった。絢爛豪華、派手派手、贅の極み・・
傲慢ささえ感じさせる。俺の権威は、世界一だ、俺は神なのだ、という圧を感じる。ルイ14世って、そういう人だったらしいじゃないか。この空間にはルイ14世の魂のバイブスがあるのだ。
とにかく、贅沢をしようと力の限りを尽くしているのが伝わってくる。子供の時描いていた、俺が考える世界最強の金持ちの生活みたいなテンションを大人になるまで継続した感じ。すごい!
フランス革命で市民がキレたのもわかる感じ。説得力があるのだ。建物が日本のお寺みたいなかんじだったら、もしかしたらフランス革命起きてないのではないか。
フランス人の王族という、世界の強者中の強者の残した遺産・・選ばれた人が住み、来ることができる場所だったところ。これが、いまやアジアの一般人も見学できるようになっているわけである。
女の子は皆、お姫様になりたい。憧れとか、自分もお姫様みたいな気分でベルサイユ宮殿にいく若い女性って多い。どこかの国の一般の女の子たちが、宮殿でインスタ投稿用写真をとるべく、我がお姫様よという感じで決めポーズをしまくっている。今の時代はみんながお姫様だ。なんという諸行無常であろうか・・
しかし、これが世界の贅沢の頂点か~・・と庶民のみんなに思わせてくれる、体験させてくれるってのは,ほんとうにいいものだと思った。
ここで、自分が暮らしていると想像してみる。
マリーアントワネットは、宮殿での暮らしに辟易して,プチトリアノンですごしていた。そっちもとてもセンスがいいが、比較的質素である。(質素といっても、そりゃあ贅沢なのだが・・)
しかし、この宮殿内で一生過ごすとおもったら、うらやましいだろうか?
人にもよるかもしれないけど、私は、別にこの生活うらやましくないな・・・と思った。
相続とか、遺産とか、身辺整理とか考えたら気が狂う。実際、一族は最悪の最後を遂げているわけである。究極的に、物質は永遠に自分のものなんかじゃないのだ。一時的にお借りしているものなのだ。
観光客であふれたこの空間で、文化遺産、展示用になった宮殿をみて、その諸行無常感を、まざまざと実感させてもらえるのだ。
絢爛豪華な家具、美術品、庭、服、アクセサリー、広大な土地・・
全ては世界一級品、ほかの誰も同じものを持つことはできない極上のもの。だけど、それだけだ!それだけあって、何になるというんだろう・・・
そんな気分にさせてくれる体験装置になっている気がする。虚しさも感じるのだ。こんなにも派手なのに、ぽっかりと空虚を感じるのだ。
普段もっともっと、豊かになりたいと思って生きている。
もっと豊かになれば、幸せになれるかも、人より私は貧しい損な生活なのかも。
と思って生きている。
しかし、ベルサイユ宮殿はその先の頂点を見せてくれる。そして、頂点にたったとき、自分はどう感じるだろうかということを体験させてくれるのである。
もしかしたら、ほかにもいろいろとお楽しみはあったのかもしれない。めくるめく何かがあったのかもしれない。私の、庶民のひがみ、庶民でもいいんだもんと思いたいだけかもしれない。
私は駅の近くにコンパクトな部屋を借りて、街にでる、大学に出る。全ては自分のものなんかじゃないが、だからこそ面白い。全てが流転していく。行こうと思えば世界中に旅行にいける。
日本で、日本のご飯食べて、平和に、清潔に生きていけること、仕事を通して、社会をよくすること、自分のしたいことを探っていくこと、休みの日に、好きなことができること、それが与えられている社会にいきていること
なんて嬉しいことなんだろう。
なんとなく、ヨーロッパには引け目を感じていた気がする。西洋の文化のほうが、優れている、進んでいる、王様はえらい、庶民はわきまえなくてはいけない、、そういうそこはかとない意識ってある。
だけど、そういうのが消えた。だから、私はとてもベルサイユ宮殿をみれてよかった。