終わりの夏
ー 金魚 舞う 昊(そら)の元
私はこの世界に さよならをした ー
夏祭りで掬った3匹の金魚のうち、1匹が水槽に浮いていた。
それはお祭りの翌朝の出来事で、あまりにも早すぎる死に、私は不安になった。
「元々弱っていたんじゃないのか?」
悲しむ私に父親がそんな声を掛けてきた。多分それは正論。だけど、今聞きたいのはそういう話じゃない。もっとこう、希望のある話が聞きたかった。こんな切ない現実で楽しかったお祭りの夢から覚めるのが、ちょっと嫌だったんだ。
その日の朝、ポメラニアン犬のポメットを連れて、いつもの様に散歩に出かけた。
私達の散歩コースは、大体が小さな川の真上の道路で、たまに橋の近くから続く獣道の様な坂を伝って、川の流れている所まで降りたりしている。
橋の上を歩いていたらポメットがしきりに川を気にするので、今日は川まで降りてみる事にした。
小さな小川の真横にしゃがむと、水の流れる音がする。
川に両手を差し込むと、思ったより冷たい温度の水が、しきりにその手に触れては、すぐに流れ去っていった。
いつまでそうしていたんだろう。
横で大人しくしていたポメットが、少しソワソワし始めた。
「ちょっと歩こうか。」そう声を掛けてから、私達はもう少しだけ、その川の上流に移動した。
紅い小さな5匹の魚が、群れになって泳いでいる。岩陰の苔を食べたかと思えば、表に出てきて追いかけっこをしたりしながら。
金魚かな?
今朝の出来事が頭をよぎる。みんな、私の家の水槽にいるよりも、この川に住んでいた方が、幸せなんじゃないだろうか?
散歩を終えて、私達は家に帰った。
そして部屋の水槽で泳いでいた2匹の金魚を小さなバケツに移すと、さっきの小川に彼等を放流しに行った。
「市内西部、南部、東部で大雨警報が出ています。不要な外出はお控えください。」
テレビのニュースで、駅前の定点カメラの様子が写し出されている。ザーザー降りの強い雨と、これでもかと吹き荒れる強風。
「ポメットごめん、今日はお散歩、むりそうだね。」
ポメットにそう伝えながら彼を撫でる。彼は能天気に尻尾を振りながら、しきりに愛想を振りまいていた。お外だろうが室内だろうが、構ってもらえればどっちでも良かったらしい。相変わらずそういう所、羨ましいな。私は天気ひとつでこんなにも機嫌が左右されてしまう、不安定な生き物なのに。
今日はこんな天気だったから、私が通っている中学校が休校になった。
本当は学校に行きたかった。
ユウキちゃんがエリナちゃん達に、シカトされたり、廊下で陰口を叩かれていた事を、私は知っていた。最近グループラインで、ユウキちゃんネタが多く回ってきていたからだ。
私はエリナちゃん達の事は好きじゃないけど、彼女達と上手く繋がっていないと、私のクラスでは浮いてしまう。だから、近すぎず離れすぎずの絶妙な距離を保ちながら、彼女達と付き合っていた。
グループラインは真っ黒だ。時折輪から外れた人達の、悪口が回ってくる。そんな時、悪口を言われてる人が、かわいそうだなって思ったりする。だけど、表面的なイジメがある訳じゃないから、何にもできない。
本当は誰もいない時にそっと、輪から外れた方の人達に、声を掛けに行きたかった。陰口じゃなくて、どうして不思議な行いをするのか、もっと相手を知るために。
だけど、怖がりな私にはいつも、それができない。放課後に下を向いたまま黙って教室を出ていく相手をこっそり目で追う事しか、今の私には出来なかった。
弱い自分が嫌になる。だからいつも独りなんだ。友達がいる振りをして、ギリギリ浮かない様に体制を整えて。
今日こそはユウキちゃんに、声をかけようと思っていたのに ー。
昨日の天気が嘘みたいな快晴だった。
「ポメット、お散歩いくよ!」
私はこれでもかと尻尾をふるポメットにリードを付けて、いつもの川の近くへむかった。今日は気まぐれに、いつもより下流の、少し大きい川を目指して。
今日は水量が多いな、少しだけそう思ったけど、ポメットが川岸に降りたそうにしていたから、今日も近くまで下りて行く事にした。
コンクリートの坂で足を踏み外して転ぶ。
その時私は、ポメットのリードを手離してしまった。
ポメットは気づかずに、川に向かって走っていく。
岩にぶつけた膝と、草で擦りむいた足が痛かった。私はしばらく石砂利の上に座り込んでいた。
顔を上げて見た景色を、私は直ぐには理解できなかった。
ポメットが、水面から顔を出したり、水の中に沈んでいったりを繰り返している・・・。溺れてるんだ!
私は何も考えずに、ポメットに向かって走っていった。
川に飛び込んでから思い出した。私は泳ぎ方を知らない。
たまたまぶつかった流木をポメットに咥えさせて、ポメットを川岸まで押し流した。
水の渦から抜け出したポメットを見送って、少しだけ安堵した。
水の渦から抜け出せた、と思った私は、川岸ではなく、もっと深い対岸へ、押し流されていって、そのまま川へと沈んだ。
いっぱい水を飲んで、すっごく苦しい時間が終わって、ただ見上げた水面は、太陽の光が少しだけ入ってきて、綺麗だなと、そう思った。
あの時見た子達にそっくりな紅い小さな魚達が、大きな群れをなして、私の頭上を泳いでいる。
後ろからきた、もっと大きな黒い魚が、口を開けて、今にも小さな魚達を食べようとしている。
大きな魚は、小さな魚を食べてしまった。そして大きかった小さな魚の群れは、少しだけ、小さくなった。
弱肉強食。それがこの世の自然の摂理。弱い私は、大きな川に、食べられてしまった、きっとそういう事なんだろうなと思った。
弱いまんま生きるのはもう疲れた。大人しく食べられるのも、そんなに嫌じゃない。
金魚の様な紅い小さな魚達が、大きな魚から逃げ惑いながら泳いでいる。
その景色はどこか緊迫していて、それでいて幻想的で、とても美しいなと、そう思った。
そして私は、息の詰まるようなこの世界に、さよならをした。
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