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子どもが日記を書くことの価値とは?
小学校で子どもたちに日記を書いてもらっています。
しかし、いざ書いてもらうと「楽しかったです。」「これからがんばりたいと思います。」で締めくくる文章によく出会います。
なぜでしょうか。
いくつか理由があるかと思いますが、大きく2つだと考えます。
①物事を深く考える習慣がないこと(文章の定型化)
②「作文」アレルギー(書く経験が少ない、書き方で困る)
最初の例のような文章を書いてしまうのは、言葉の意味を考えずに使っている典型ではないでしょうか。日々流されるままに、生活を送っていると言ってもよいかもしれません。
どんな1日も、何かしら心動かされる場面を見つけることはできます。「あれ?」「これって?」と思ったときに、立ち止まり、見落とさない目を養ってほしい、目の前の子どもたちが、釣り針のような、何かひっかかりを感じる心を持ってほしいのです。
5年生の国語の教科書では、「言葉の意味が分かること」という単元が出てきす。
そこで、子どもたちに「言葉とはなに?」と投げかけてみました。返ってきた答えは次のようなものでした。
「出来事を伝える」
「人に口で伝える」
「人に伝えること」
「残らないもの」
「発言すること」
「会話に使う」
「(ものとかの)名前」
「意味を表す」
「言葉」を会話をするため、言語を伝えるためのツールだと考えている子が多いようです。また、固有名詞やある物事そのもののを指ししめすものだと思っている子もいました。
「言葉の意味が分かること」の単元の筆者は、
「言葉の意味を面でとらえること」
「普段使っている言葉や、ものの見方を見直すこと」
が大切であると言っています。
私としては、
「言葉を豊かに使いこなすこと」
「自分の本当の気持ちや考えを掘り下げていくこと」
と捉えています。
毎日のちょっとしたことで、自分の心に響くものが見つかったときには、なぜそれがひっかかったのかを自分の「言葉」で掘り下げて考えるクセをつけることが大切です。
それが自分の豊かな人生を創ることに繋がります。
そのために子どもたちには、日記を書いてもらっているのかもしれません。「何が楽しかったのか」「どの瞬間に心地よい気持ちと出会ったのか」など、より詳細に自分の気持ちに気付き、表現することを繰り返すうちに、自分の在り方に気付くことができます。
そうやって自分の中の言葉ができあがり、日記に綴ることは自分の内面と会話をすることにつながるのです。
子どもたちが書いた日記を学級通信で発信し、互いに読み合う活動を通して、「あの人はこんなことを考えていたのか」「自分だけではないんだ」「こんな考え方もあるのか」「全然自分とはちがう」というように、集団の中の自分にも気付きます。
なぜ日記を書くことが大切なのかと問われたなら、
「自分を知ること」
ができるからなのではないでしょうか。