「ボジョレー・ヌーボー」は買うに値するワインなのか
「ボジョレー・ヌーボー」か「ボージョレ・ヌーヴォー」か、それが問題だ。
・・・という前置きはさておき、今日は気になる記事があったので題材にしたいと思います。
TwitterでフォローさせていただいてるTokyoWineGirlさんがリンクを貼っていたので拝見させていただきました。ありがとうございます!
さてこの記事はビジネスもので、だいたいの趣旨はこんな感じです。
「ボジョレー・ヌーボーのブームは過ぎ去った。なぜ廃れたのか?その原因は過大なキャッチコピーによる陳腐化である。過大広告により信用を失ったのだ。」
おおよそ記事の目的はこの「ヌーボーブーム終焉」を反面教師として読者の企業様は誠実な商売をしましょうねと、身近な話題をテーマに説きたかったのだと思います。
まあ、ライターの方はビジネスコンサルのようなので、細かいテクニカルや歴史の誤解は大目に見るとしても、ですよ・・・
あまりの無知と偏見!
業界を叩きたいのなら、もう少し勉強してから書きやがれ!!
・・・と、ごく控えめに言って「ブチギレ」ました笑。
まず、ビジネスコンサルタントを名乗るくせに、客観的根拠が一切ない。何らかの事実を示したいなら、まず数字なりなんなりを持ってこい、と。
2019年の主要メーカーの輸入予測数量合計はおよそ34万ケース(酒販ニュース)。直近10年の輸入実績がだいたい40から50万ケース台、2018年に10%強の大幅減があった以外は、目立った減少は見られません。
それでも、ヌーヴォーが一世を風靡した2003年から2007年頃に比べると随分少ない数字でしょう。しかし、その話をするなら10年も時代遅れな話題なわけです。
世界に目を向けると、日本の輸入量は圧倒的にナンバーワン。ヌーヴォーの消費量の大半はフランス国内(主にパリやリヨンなどの都市部)で、次いで日本、アメリカ、ドイツ、イギリスなどが名を連ねます。
ワインファッションの発信基地とも言えるイギリスのピークで6万ケース程度(1999年)でしたので、現在の日本の輸入量はおよそ「廃れた」と言えるレベルではありません。いまだ、圧倒的なのです。
次に味のこと。このライターは以下のように書いています。
“(なぜ騒がれなくなったか、という自問に対し)理由のひとつは、「ボジョレー・ヌーヴォー」がワイン本来の味ではないからです。その年できた新酒の“出来”をテイスティングするとともに、“蔵出し”のお祝いをすることが目的です。本物のワインは、ここから熟成させることで完成するので、まだ未熟な味だと言えます。私も何度か飲んでいますが、飲みやすいだけで、美味しいとは言えません。”
・・なにをもって「ワイン本来の味ではない」と言い切れるのでしょう。ここはぼくが最も憤りを感じたところです。
まずボージョレ・ヌーヴォーはそれ専用に造ってるワインなので、これで完成形です。そして、「熟成していないとワインではない」というのもまた偏見です。
ボージョレを始めとするフランス各地のワイン産地で造られる「ヌーヴォー(Nouveau)」、あるいは「プリムール(Primeur)」と呼ばれている「新酒」のワインの一番のウリは、そのフレッシュな果実味。イチゴや木苺などと表現される、フルーティーな味わいです。ボージョレ委員会的には「数ヶ月寝かせても美味しいよ!」と宣伝していますが、白ワイン同様、フレッシュさが命のヌーヴォーを一番美味しく飲む方法は、やっぱりAs Soon As Possibleでしょう。
そのために特別な造り方をします(詳細は割愛)。その技法を用いると、色調と香り、風味はしっかりと引き出されるのにタンニンの少ない赤ワインにすることができます。結果、「フルーティー、軽いボディ、タンニンの少ない」軽やかで飲みやすいワインに仕上がります。(これって最近注目されてるロゼワインにも似てますよね)
第二次大戦後、ボージョレの生産者たちはその年に造られたワインをすぐリリースすることを認められ、1951年には「11月15日から販売してよい」という政令を受けます。これを機に、このピチピチとした果実味あふれるワインが、パリのビストロで大評判となります。戦後すぐの頃は、今のようにワイン科学も発展していませんでしたので、「フレッシュであるほど良い」という生鮮食品のような価値判断がありました。そのため、白やロゼのように冷やして飲むことが好まれました。70年代になってアメリカ、UKでもそのテイストとコンセプトが受け、80年代になるとオーストラリアや日本にも広がります。
イギリスなどでは90年代に消費量が激減しますが、その大きな理由は「品質の低下」でした。大手メーカーが工業製品のごとく「酸っぱくて痩せた味わいの」ヌーヴォーを大量生産したことで、多くの消費者が離れてしまいました。
(個人的にはその当時もてはやされてた「パーカースタイル」の影響も少なからずあったと思ってます)
日本は、というと、むしろ海外の熱狂が過ぎた後にそのブームを迎えます。当然ジョルジュ・デュブッフをはじめとした大手メーカーらも品質の改善に挑みますが、それ以上に地球温暖化による「気候の安定化」が、ボージョレにおいてはプラスに働きます。つまりよく熟したブドウが安定して獲れるようになり、フレッシュな味わいがウリのヌーヴォーにとって大きな追い風になったのです。
ここで強調したいのは、ヌーヴォーワインそのものが、品質の劣るワインではない、ということです。
「ただの祝い酒だから味は二の次」という代物が、こう世界中を席巻するでしょうか。ワインに慣れ親しんだドイツやイギリスの人たちが「冷やして飲むと美味しい!」と飲み方を提案したりするでしょうか。
しかも、イギリスなどではここ数年、またボージョレ・ヌーヴォーを見直す動きが出てきています。
それはかつての低品質ワインではなく、各ドメーヌが個性を発揮してつくる高品質ヌーヴォーです。
軽やかでフルーティー、飲みやすくて繊細。こういった味わいのワインは、まさに「Light & Precise」な現在の世界の食シーンに合致しています。
では、この十数年間のヌーヴォー消費量の減退をどう説明するのか。
先にも述べた通り、今年の輸入予測数量である34万ケースという数量は非常に多いのです。ですから、むしろ2004年頃の100万ケース越えという実績が、異常なほど突出しているといえます。ブームが去ったというより、当時(2004年から2007年)だけが極端なブームだったというほうが正しいのです。
ヌーヴォーを批判する論調は以前からあり、その多くが「品質対価格」が見合わない、ということでした。パリやロンドンならトラック輸送できますが、日本も同じタイミングで間に合わせようとなると飛行機を飛ばすしかありません。この点はマーケティング要素が多分にあることは否めませんが、仮に船で輸送した場合、早くとも12月中旬頃の到着となるため、すでに新酒の気分というよりクリスマスなわけです。そこはもうちょっと高いワインを開けたいわけです笑。
ぼくはこの航空運賃による割り増しは、お祭りの参加料のようなものと思っています。まともなインポーターのヌーヴォーなら500円から1000円ほど品質に対して割高だと思いますが、その一瞬だけフランスにトリップしたと考えたら、安いものじゃありませんか。
世界中で、同じワインが、同じ日に解禁になり、それを一緒に楽しむことができる・・・むしろ、SNSで世界がつながった今、こういったワインの楽しみ方がまた受け入れられるんじゃないかなと思う次第です。