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『陽キャの体育会系ビジネスマン』ではない”陰キャの自意識過剰人間”の為の成功プラン

トップ画像はChatGPTさん(DALL-E3)による「陰キャの人が疎外感を感じるような陽キャのバーベキューの風景」です(笑)

最近ちょっと知り合った大学生が就活に苦戦してるっていう話を聞いたことがあって、タイトル通り「陽キャの体育会系ビジネスマンではない陰キャの自意識過剰人間のための成功プラン」っていう話をしたいんですが…

実は、金風舎という出版社が、「24人の色んな分野の論客が妄想力を全開にして未来を描く記事を一万字で書く」というテーマのアンソロジー本を出すという話があって、僕も依頼されて寄稿したものが9月30日に発売されるんですね。

で、寄稿を依頼するメールを著者に送ったり、できた原稿を整理して文章を校正したりするのを、すべて大学生のバイト?インターン?の人がやってて、まあこの二ヶ月ぐらいやりとりしていたSくんという人がいるんですが・・・

なんかね、メールでのやりとりだけで伝わってきた印象としては、すごい”ある種の能力”はある人だなあ、と思ったんですよね。

・事務的なメールもちゃんとパーソナルな感情とディテールを込めたものにできる。
・著者である僕が普段やってることの細部のニュアンスを的確に掴んで、それを提案に入れ込める。
・一方で、レスのタイミングとかはちょっと遅めだしミスも多めw

まあこんな感じ↑の人で、しょうもない事務的なやりとりでもすごい丁寧に気持ちのこもったメールが来るので恐縮してしまったりして(笑)

なんか、このSくんは実は普段は結構「陽キャノリ」で生きてる人なのかもしれないがw、少なくともこのメールのやりとりから伝わってくるのは

「自意識過剰の陰キャ寄り」

…のテイストを感じるというか、事務的なやりとりにも「意味」を何らか載せなくては、というこだわりを感じるというか。

そしてその「こだわり」を形にできる「陰キャならではの能力」もある感じ。

で、僕もまあ”そういう能力”結構ある方だけど、大人になると忙しいからだんだん事務的なものは事務的に終わらせちゃうようになっていくから、相手が「10」の丁寧さで送ってくるメールに毎回「3」ぐらいの事務的な返事返してるなあ、と思うところがあって(笑)

なので、だいぶんやりとりが重なったところで、事務的なメールの末尾に以下みたいな追伸を書いて送ったんですよね。

「事務的に返しちゃってるけどすごいパーソナルな感じで毎回メールしてくれてありがとうございます。就活中らしいですけど、そういう能力って、一日電話百件かけなきゃいけない営業職とかには全然フィットしないけど、丁寧にニュアンスを拾って細部まで話を詰める必要がある仕事だと絶対活きると思うから頑張って!」

そしたら、今営業職ばっか受けまくってて、でも就活苦戦してるんですよ・・・みたいな話をしてて、なーんか、ミスマッチ?を感じるところがあったんですよね。

このSくんが本当に普段から「陰キャ」な人かどうかは別として、

一般論として、陰キャには陰キャの戦い方というのがあるのでは?

…というテーマについて考えてみたいと思っています。

いや、必ずしも「陰キャは営業職は無理」ってわけでもないと思ってて、「ちゃんと話せる」能力が必要なタイプの営業職ってのは沢山あるはずではあるんですよね。

ただどの道を選ぶにしても、全体としてひとつ明らかに言えるのは、「陰キャの戦い方」っていうのを考えるには「長期戦の視野」が大事なんですよね。

「ウサギとカメの競争」みたいな話と一緒で、

「毎日電話百件かけまくって全然疲弊しない」タイプの人と競争して、20代で陰キャが陽キャに勝つ

これ↑はまあかなり難しい(笑)

もちろん、「行動力も”自意識過剰力”も両方持ってるチート人材」もたまにはいますが、そういうのは相当レアですよね。

で、「行動力だけの人」はだんだん頭打ちになりがちな側面もあるんで、陰キャの人は諦めずに自分の「持論」を温めて温めて形にしていけば、人生後半から何か追い抜くような成功が形になっていったりもする。

そのあたり、以下の2年前書いてめっちゃ読まれた記事にも通じる話かもしれません。(イーロン・マスクは世界で最も成功してる陰キャと言っても過言じゃないと思うしねw)

また、

平成時代に圧倒的な勝ちパターンだった「グローバルな成功例を日本に持ってくるタイムマシン経営」は本当に「陽キャの体育会系ビジネスマンが圧倒的有利」の世界だけど、「日本発でグローバルに何かを売る」には「陰キャのパワー」がどうしても必要だ、という話

…もします。

(いつものように体裁として有料記事になっていますが、「有料部分」は月三回の会員向けコンテンツ的な位置づけでほぼ別記事になっており、無料部分だけで成立するように書いてあるので、とりあえず無料部分だけでも読んでいってくれたらと思います。)

1●「自意識過剰人間は自意識が薄い人間に憧れる」が…

僕は大学卒業後、外資コンサルのマッキンゼーからキャリアをはじめて、その後こういう「グローバルな発想」と「日本社会の深い部分」とがちゃんとシナジーするような関係作らないと社会崩壊しちゃうな、と思って、色々あって今は中小企業相手の経営コンサル&思想家になってるんですが。

その外資コンサルやめてからコンサルとして独立するまでの間に、「日本社会のリアルを見なきゃ」とかいう青臭い理想を掲げて、ブラック営業会社で働いてみたり肉体労働したり(その他ホストクラブで働いてみたりカルト宗教団体に潜入してみたり)していた事があるんですね。

その「それぞれの世界」にはそれぞれの生き方の性向があるな、って感じだったんですが、肉体労働してる人たちの「カラッとしてサワヤカ」な感じはすごい印象的でした。

で、一週間ぐらい前こういうのがバズってて

上記まとめより引用↓

前も書いたが、肉体労働する人達と付き合うようになって一番感じたことは、彼らはビックリするほど「自分」に…「自分の感情」に関心がないことだった。自分勝手な奴はいた。自分の未来を心配する奴も。でも「自分」のことは気にしない。当然のように子供や客のために生きてる。そのあり方が眩しかった

彼らが他人と喧嘩するところも見たが、その理由は「自分がバカにされたから」よりも、「自分の家族がバカにされたから」とか、「自分の仕事を否定されたから」の方が多かった。「自分」はそこまで怒る理由にはならんかった気がする。あくまで個人的な印象+サンプル数5くらいの話だけど。

最近地元の公民館へ読書を兼ねて涼みに行くのだが、そこにいるヤンキー系女子高生達が眩しくて仕方がない。それは若いから…美人だから…ということではなく、生きることに「衒い」がないこと。その衒いの無さが生む「眩しさ」と思う。で、それは多分、この「自分」に関心がないことと繋がってる。はず

生粋の共同体主義者と、自分が強いものに阿りたいために共同体の威を借る日陰者との違いを見た。

で、自意識過剰な陰キャ寄りの人は、こういう↑「自意識が薄い」ように見える人たちが苦手ですよね。

x(Twitter)で定期的にバズってる「結局地元で若いウチから子育てしてイツメンでバーベキューしてるマイルドヤンキーが一番幸せ」論もこういう感じで。

ただ、現代人の大半はここまで「自意識が薄い」状態で生きてる人は少数派ですよね。

それに、「自意識過剰」に生まれついた人が、無理してマイルドヤンキーのマネしたって無理がある。

かといって、その自意識過剰という性質を、「自意識が薄い人たちへのルサンチマンを延々溜め込む事に使っていく」のも、さすがにちょっと虚しいところがある。

「自意識が薄い人たち」が、社会の中で安定して「献身」して生きてくれることの恩恵を我々全員は受けているので、彼らに感謝しないといけない部分はあると思うんですよ。ケンカしても仕方ない。

できれば「WIN-WIN」な形で、陰キャは陰キャならではの価値を提供し、陽キャは陽キャならではの価値を提供して、社会が回っていくのが一番良いのはいうまでもない。

では、天の恩恵により自らに与えられし「自意識過剰スキル」は一体どう使えばいいのか?

本質論的にいえば、「自意識過剰」は「自分や他人の行為の波及効果」を鋭敏に把握できる能力だと言えるので、ただ「こうすれば当然こうなる」という形ではない「もっと本当はこういう形が理想なのでは?」というビジョンを描く源泉になりえる才能の源泉なんですよね。

「自意識過剰」は、「本当はこういう形になってることが理想なのでは?」という「ビジョン」に昇華することによって、「陰キャならではの価値」へと転換するのだと考えてみたいんですね。

そして「ビジョン」にまで昇華すれば、あとは陽キャの皆さんともうまく協業して形にしていけば、

お、おまえスゲー面白いこと考えるじゃん、俺営業してきてやるよ

…的な幸福な関係性も生まれうるようになるでしょう。

2●「ビジョン」って言うと大げさだが、要するに「持論」を持つということ

「自意識過剰のエネルギーを束ねて理想を描くビジョン」とかいうと大げさすぎて、一握りの天才にしかできない事のように思うかもしれないんですが。

なんか、ビジョンっていうのは「社会全体をひっくり返すようなビジョン」じゃなきゃいけないわけじゃないんですよ

そういうのじゃなくて、

ある国(日本)の、ある地域の、ある業界の、”いつもついついこうなっちゃってる課題”に対する、本当はこういう連携ができればもっと良いのでは?もっとこういう製品や商売ができれば良いのでは?というような”持論”

↑こういうのが、今の日本には、あと百万個ぐらい必要なんですよ。いやほんと、大げさでなく百万個ぐらい必要。問題山積みすぎるからね。

そういう「地道に練り上げられたビジョン」によって、こういうの↓

誰かを悪者にして、「こんなの簡単だよ、あのバカどもを抹殺しさえすれば全部解決するんだよ」みたいなことを吠える人たち

…を置き換えるようにしていかないと、本当の問題解決なんてできない。

どんな小さな分野でも、

・その分野にちゃんと一定期間関わって
・単純化しすぎた紋切り型の暴論に飛びつかずに
・色んな関係者の事情を勘案した上で
・全体にとって良くなるあるべき着地点を構想していく

こういう↑を地道にやってる人がいて、その「持論」が徐々に明確に固まってきたら、あとは旗を掲げるだけで良い。

その「持論」に確かな意味があれば、「旗を掲げる」ことさえすればあとは周りの人がホイホイ助けてくれて、どんどんあなたの事を押し上げて行ってくれる。

これが、

「毎日百件コッカラッス!って電話しまくれる人」以上の成果を陰キャの人が出せる唯一の方法

…なんですね。

こういうことは「自意識が薄い人」には決してできない。

事務的なメール一本送るのでも延々とパーソナルなディテールを考えてしまうとか、理系ならただ公式暗記して計算すりゃいいじゃんみたいな問題を延々考えちゃうというような、そういう「過剰な」タイプの人こそ、本当はこういう「パワーの源泉」を持っているはずなんですね。

3●「長期戦で自分だけのビジョンを作っていく」には、二段階型キャリアが必要

僕は経営コンサル業のかたわら趣味で「色んな個人と文通しながら人生を考える」という仕事もしていて(ご興味があればこちらから)、そのクライアントには20代から60代まで、男女ほぼ同数ぐらいの色んな職業の人がいるんですが。

この文通の仕事でつながってる人が、「自分だけの何か」を人生の中で作っていきたいという時には、「二段階型」でやるといいのでは?みたいな話をする事が多いです。

「二段階型」っていうのは、

・とりあえずその領域に触れ続ける環境を作る
・あせらずだんだん自説が固まってくるのを待つ

…という「段階を踏む」のを意図的にやるってことです。

自意識過剰の人のキャリアで難しいのは、「行動と思考のバランス」なんですよね。

「一日百件電話かけまくれる人」の成功ルールみたいなのは、自意識過剰の人はマジで真似しようとしてもできない事が多いですよね。

もちろんたまにはそうでない人もいて、「文通の仕事」で繋がってた女性で、普段はかなり陰キャな悩み深いタイプなのに営業電話だけはスイッチ入って、いつも会社の月間ノルマを最初の一週間で終わらせてる人がいたので、案外やってみればできる人もいるかもですが(笑)

まあでも普通は、「ガチの外向型陽キャ」と同じ行動量はマジ無理っす、って人が多いはず。

だから、「ガチ外向型陽キャ」より「行動量」が少ないのはまあ仕方ないとして、かといって「行動量があまりに少なすぎる」と、自分の「ビジョン」がちゃんと地に足ついたものにならないじゃないですか。

陰キャなりに、無理が溜まって潰れない程度で、でもちゃんと「ある分野に触れ続ける環境」を作っていくことが大事。

そういう意味では、あまり「ガチで競争的すぎる(生き残るだけで120%のハードワークで潰れちゃう)」ような環境よりは、ある程度余力を持って考える環境がある方が、陰キャの人にはいい可能性はあるなと思います。

そうやって、「潰れない程度に触れ続ける」と、自意識過剰人間はちゃんとその「体感」をまとめあげて一つの世界観や「あるべき姿」を描いていくことができるはずだと思います。

そのうち「持論」が固まってきたら、あとは色んなところで色んな人にそれを話すようにしていくと、「そうそう!俺もそう思ってたんだよ!」と陽キャ寄りの人がワイワイ持ち上げてくれて、話がどんどん進んでいく「人生後半の幸福なコンビネーション」にたどり着くことができるでしょう。

それは、30代後半かもしれないし、40代になってからかもしれないし、50代になってやっと、かもしれないけど、とにかく「ちゃんと毎日考えることを積み重ねてきたかどうか」が、人生後半にはすごく大事になってくるんですよね。

さっき貼った「中年以後のイーロン・マスクは若い時と働き方が違うという記事」でも書いたけど、人生後半戦になってくると若い頃できてた色んな体力やら集中力やらそういう能力は誰しも衰えてくるからね。

そのターンになった時に、「ちゃんと考えてきた蓄積」があるかどうかはすごい大事な差を生むことになるんですよね。

4●「陽キャへの敬意」があれば道を踏み外さずに済む

そうやって「二段階型キャリア」を目指してると、とにかく「一日百件電話できる」人の活躍を遠目で見て羨ましくなる事もたくさんあると思うんですが・・・

まあそこでいわゆる「リア充(陽キャの古い言い方w)爆発しろ」って感じにならずに、「人それぞれ色んな活躍の仕方とか役割とかがあるんだよな」と思っておけるかが大事だと思います。

「ある程度自分も取り入れてみよう」と思えるところは取り入れてみると良いところもありそうだし。

最近、paypayがここまでデファクトスタンダード寸前ぐらいにまでなってる成功の秘訣、みたいな対談の記事がバズってまして。

上記記事に、会社としてお金かけて営業攻勢をかける前に、まずは経営陣が自分で営業に回ってみて、その反応をベースにプランを作った、という話が出てきます。

それは楽天三木谷さん仕込みだとかで・・・↓

僕は神戸出身なので、三木谷さんの話はついつい好意的に見てしまうんですが(笑)

なんか、人見知りする陰キャの人でも、極たまにでもいいので、こういう「実際自分でやってみるフットワークの軽さ」みたいなものがあるとすごい変わってくるんですよね。

自意識過剰な人がちゃんと「行動」すると、その「一回の行動」で理解できる体験がかなり大きいはずですし、なにより「実際自分で行動する人なんだな」というのはまわりに「大きな信頼の貯金」を作ることになります。

その「信頼の貯金」が溜まっていくと、自分の「持論」を聞いてもらいやすくなったりもするんですよね。

だから、「自分はああいう陽キャじゃない」というコンプレックスはある程度大事にしつつ、折に触れては「ちょっと頑張って外に出てみる」ことを大事にしていくといいと思います。

そして逆に、「陽キャ寄りの人」が、もっと「陰キャ寄りの人」を大事にしなくちゃいけない時代背景も、徐々に日本では見えてきているんですよね。

5●グローバルに勝つには陰キャの妄想力が必要

「陽キャが陰キャを尊重しなきゃいけない時代が来る」っていうのは、平成時代の「タイムマシン経営」が徐々に機能しなくなってきてるからなんですよね。

「タイムマシン経営」というのは、アメリカとか中国とか、IT先進国で実例があるものを持ってきて、「日本版●●」を作るというビジネス手法です。この言葉は孫正義氏の発案らしいです。

paypayも、中国でもAlipayとかWeChat Payの成功が実例としてあった上で、「日本でも絶対できる」という算段をして、累計4000億円も突っ込んで一気に普及させた。

なんか日本って、suica関連の圧倒的な強みがあったのに、縦割りの企業単位の発想から抜け出せなくて、めっちゃ限定的な範囲内だけのビジネスにとどめてしまった事で、結局QRコード決済勢にやられちゃったみたいな「平成時代の日本あるある」みたいなところがありますよね。

ただ、この「タイムマシン経営」が徐々に難しくなってる側面もあって、それは要するに「オリジナル」がそのまま日本に参入してきちゃう例が増えてる事なんですよね。

「SNSってのが流行ってるらしい、日本でもやろう!」でできたmixiもGREEも、TwitterやFacebookやInstagramや、グローバルSNSに直接上陸されたらあっという間に潰されちゃいましたよね。

「日本版●●」の入る余地がなくなってきちゃってる。

「こういう市場環境の変化」が、「活躍できる人のタイプ」をもまた変えていく流れが起きているんですよ。

つまり、平成時代の王道パターンだった「タイムマシン経営」を成功させるには、「すでに海外の実例としてある正解」を「一日百件電話かける熱意と行動力」で一気に実現する事が必要なんで、こりゃもう「外交的な陽キャの体育会系ビジネスマン」の独壇場みたいな感じではあった。

一方で、そういう「タイムマシン経営」が徐々に機能しなくなってくる時代には、むしろ「陰キャの妄想力」が必要になってくるんですよね。

「本来こういうものがあるべきなんではないか」と、陰キャ寄りの個人の頭の中で延々時間をかけて細部の細部まで考えられたような「理想のビジョン」があるようなものでないと、グローバルにちゃんと売っていくことができない。

「平成時代に日本で活躍したベンチャー」で海外展開できてるところってすごい少ないんですよね。

ある意味で「タイムマシン経営バリバリやります」型のカルチャーだと、「日本発である」意味が薄くて世界で戦えないギャップみたいなのがあるような?

陰キャの妄想力の結晶みたいなアニメファンは世界で10億人に達し年間3兆円近い売上になってるけど、陽キャ寄りの民放テレビドラマとかぜーんぜん海外プレゼンスないですし。

「IT」系でも、グローバルにまあまあ戦えてるのは、創業者がガチの哲学書みたいなのを書いてるSmartNewsとか…

あと、「予定管理アプリ」みたいなどこにも新規のイノベーションがありそうにない枯れまくった分野で、グローバルに顧客獲得してるタイムツリーっていうアプリがあるんですよね。

こういう「理想のスケジュール管理アプリを作るぞ」というビジョンありきの作り込みの世界こそが、「日本発」でグローバルに売っていくにはどうしても必要なのだと思います。

そもそも任天堂のゲームみたいなのが、「最新マシンのスーパーグラフィック」に寄せなくても「楽しさ」を追求できるという「陰キャ型の妄想力」のたまものって感じがしますし。

あと、イーロン・マスクもハマってプレイ動画上げまくってたエルデンリングも「陰キャの妄想力の結晶」の一点突破で全世界2000万本売ったみたいな感じですよね。

上記リンク先記事では、「イーロン・マスクのプレイスタイル(ビルド)」からイーロン・マスクの個性を深堀りしているすごい好評な記事なのでご興味あればぜひ。

そうそうあともう一個、最近アメリカで「日本式ゲームセンター」がめっちゃ流行ってるんですが、これが「日本人の陰キャと陽キャのWIN WINの関係」って感じですよね。

「青春をゲーセンに捧げた」ような無数の陰キャの人たちが作ってきたカルチャーが、「よーし、俺、それ売ってきてやるよ。コッカラッス!」ってアメリカでバリバリ売りまくられて世界中から集金してこれるという、こういう「幸福な関係性」こそ、今の日本に必要なものではないでしょうか。

6●グローバルに見れば日本人はほぼ全員陰キャ寄り

こうやって考えてみると、日本人の中で陰キャ寄りか陽キャ寄りか、みたいな話はバカバカしくなるぐらい、グローバルに見れば日本人はほぼ全員「陰キャ」寄りなんだから、その「特異性」を活かす方向に進まないとダメって話ではありますよね。

今朝日経で、GINZA SIXっていうラグジュアリー専門百貨店が好調だって記事が出てて、単に旗艦店を出すだけでなく「体験型」を感じてもらえる演出を作り込んでるから強いとか。

「ラグジュアリー百貨店」を作る人って日本の中では「ガチ陽キャ寄り」の人のように思えるけど、でもそれでも世界的に見るとこういう「陰キャな妄想力の作り込み」ができる人たちが揃ってるという感じではあるわけですよね。

上記記事で、

ある意味で「プロダクトアウト」的に作っている

…とリーダーの人が言っててなかなかおもしろかったです。

「プロダクトアウト」っていうのは、平成時代には「ダメな例」とされる事が多い用語だったんですよね。

もともと「プロダクトアウト」という用語は、例えば日本の家電メーカーがなんとなく惰性で消費者側のニーズとか関係なくゴテゴテ機能を追加してボヤケた製品作っちゃう、みたいなのを批判するための言葉だったんですよ。

逆に対義語の「マーケットイン」がポジティブな用語とされていて、会社都合の惰性のプロダクトアウトじゃなくて、「市場のニーズをちゃんと聞いて作る」ことが大事だよ、みたいな話だったんですね。

でも、「マーケットイン」をやりすぎると、現時点の顧客の想像力の範囲から出れないみたいな話もあって、それを超えるためには「陰キャの妄想力がキチンと練り込まれたプロダクトアウト」がこれから大事だよね、みたいな話になって来てるとこありますね。

「プロダクトアウト」っていう用語をポジティブに使う例って少なくとも一昔前まではレアだったと思うので、上記記事を読んでいてそこが妙に印象に残りました。

だから、日本国内で「陽キャ寄り」だろうと「陰キャ寄り」だろうと、みんな日本人ならたいていグローバルに見たら「陰キャ」なんだから、それぞれなりに「陰キャの妄想力」を結晶化させるプロセスをちゃんとやらないといけないんですね。

グローバルに売りまくるには「一日百件電話して」とかじゃどうしようもないわけで、むしろある程度「プロダクトアウト」に作り込んでそれが本当に「突き抜けた」ものになりさえすれば、そこから先は「グローバル資本主義さん」という「生身の個人ではありえないレベルの陽キャのバケモノ」が、世界の裏側まで勝手に売りまくってくれる世界にはなってるので。

日本国内で日本人向けに作ったアニメが、Netflixみたいなプラットフォームを通じて勝手に世界中で放映される、みたいな話ですね。

「陰キャの妄想力」をルサンチマンとして無駄遣いしないで、ちゃんと「ビジョン」として昇華させ、それをグローバルに売りまくるサイクルをちゃんと回していきましょう。

長い記事をここまで読んでいただいてありがとうございました。

ここ以後は、最近xで見かけたなかなか面白い議論について・・・

このポスト、なかなか考えさせられるなーと思ったんですよね。

これ、もちろん「英語ができないよりできたほうがいい」っていうのはあるんですよね。

一方で、「まあまあ英語できるとしてその先があんまりない」存在ってかなり厳しいのも事実で・・・なんせ「英語できるだけの人」ってガチのネイティブの人が何十億人と世界にいるわけなので。

上記記事の、「単純なグローバル化の夢が潰えて産業冷戦構造が進む中、日本のプレゼンスと可能性はむしろ高まるのでは」という話の含めて、その中で日本人であることを各人が活かすキャリアのありかたってどういうものなのか?について以下では考えます。

2022年7月から、記事単位の有料部分の「バラ売り」はできなくなりましたが、一方で入会していただくと、既に百個以上ある過去記事の有料部分をすべて読めるようになりました。これを機会に購読を考えていただければと思います。(これはまだ確定ではありませんが、月3回の記事以外でも、もう少し別の企画を増やす計画もあります。)

普段なかなか掘り起こす機会はありませんが、数年前のものも含めて今でも面白い記事は多いので、ぜひ遡って読んでいってみていただければと。
ここまでの無料部分だけでも、感想などいただければと思います。私のツイッターに話しかけるか、こちらのメールフォームからどうぞ。不定期に色んな媒体に書いている私の文章の更新情報はツイッターをフォローいただければと思います。

「色んな個人と文通しながら人生について考える」サービスもやってます。あんまり数が増えても困るサービスなんで宣伝してなかったんですが、最近やっぱり今の時代を共有して生きている老若男女色んな人との「あたらしい出会い」が凄い楽しいなと思うようになったので、もうちょっと増やせればと思っています。私の文章にピンと来たあなた、友達になりましょう(笑)こちらからどうぞ。

また、この連載の趣旨に興味を持たれた方は、コロナ以前に書いた本ではありますが、単なる極論同士の罵り合いに陥らず、「みんなで豊かになる」という大目標に向かって適切な社会運営・経済運営を行っていくにはどういうことを考える必要があるのか?という視点から書いた、「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」をお読みいただければと思います(Kindleアンリミテッド登録者は無料で読めます)。「経営コンサルタント」的な視点と、「思想家」的な大きな捉え返しを往復することで、無内容な「日本ダメ」VS「日本スゴイ」論的な罵り合いを超えるあたらしい視点を提示する本となっています。

また、上記著書に加えて「幻の新刊」も公開されました。こっちは結構「ハウツー」的にリアルな話が多い構成になっています。まずは概要的説明のページだけでも読んでいってください。

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ウェブ連載や著作になる前の段階で、私(倉本圭造)は日々の生活や仕事の中で色んなことを考えて生きているわけですが、一握りの”文通”の中で形に…

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