本当の“失敗”とは
失敗、ミス、やらかし、うっかり。
色んな言い方がありますが、概ねあまり歓迎されない事態です。
当然当事者は落ち込むし、テンション下がるし、復旧作業が必要になって疲れるし、周囲へ申し訳なく感じるし、踏んだり蹴ったりです。
かといって、「常に正しく成功し続ける」のは無理です。
問題は「何を失敗と捉えるか」ではないでしょうか。
1.失敗とは何か
今更考えなくてもよさそうなものですが、改めて定義づけしたいと思います。
何かの目的・目標があり、それを達成するためにした行動の結果が、目的・目標としたものと違った、ということですよね。
テストで80点以上取ろうと勉強したが、テストの結果は75点だった。
3ヶ月で3キロ瘦せようと思って頑張ったけど、3か月後測ったら、2.5キロしか減って無かった。
または、料理をしていて、酢を入れるはずがみりんを入れてしまった。
今日の「15時」までに提出しなければいけない書類を、「5時(17時)まで」と勘違いしていて遅れた。
これらの共通点は何でしょうか。
それは、「リトライ(再試行)が可能」ということです。
2.どうやってリカバリー(復旧)する?
書類の出し忘れも、余程重要なものでなければ、何かしらのリカバリー方法はあるはずです。
第1段階の窓口では受付が終了していても、別の窓口なら間に合う、など。
テストで5点足らなかった時も、80点取らなければいけなかった理由によっては、決着をつけるべきは残念に思っている自分の心だけです。
失敗=目的が達せられなかった、だとすると、それはたくさんある方法のうちの一つがダメだった、というだけのことです。
1つ目の方法では達成できなかった、では、他にどんな方法があるのか?
次善策を考えることが重要です。
3.目的達成以外の価値は?
目的・目標とは、ゴールです。
明確なゴールがあると、具体的な行動をとることが出来ます。
ゴールへ向けて進み続けるのです。
しかし、「情勢が悪かったり」して、当初の目的を達成できなかったとして、それまでしてきたことは全部ムダなのでしょうか。
テストで80点以上を取るために1日1時間その教科を勉強した。
でも結果は5点足りなかった。
80点以上、という目的は達成できなかった。
でも、「75点取れた」のは、どうしてでしょう?
80点以上を目指して1日1時間勉強した、という「プロセス」があったからです。
目的の意味にもよりますが、プロセスそのものの価値を忘れないようにしましょう。
4.自責や後悔は期限付きにする
当初の想定通りにことを進めようとするのは大事です。
しかし当然ながら、想定通りに進まないこともまたよくあることです。
想定通りに進まないことを、事実以上の「悪」や「罪」のように重く受け止めすぎると、どうなるでしょう。
自責の念で一杯になり、「失敗をどうカバーするか」と考えることが出来なくなります。
「皆に申し訳ない」「恥ずかしい」「評価が下がった」「これからは信頼してもらえない」
という、感情に支配されてしまいます。
後悔することは無駄ではないし、悪いことでもない。
そして、無理にマイナス感情を回避しようとすると、いずれ失敗すらしない「行動しない」状態になってしまいます。
ずっと後悔や不安、自責にばかり囚われすぎると、そのことがまた新たな「失敗」に繋がってしまいます。
どれだけの時間を費やせるか、は、個人の特性や状況によって異なると思いますが、
「落ち込むのは〇日/〇時間だけ」
と、期限をつけ、それを過ぎたら<2>の次善策へ向けて行動を開始しましょう。
5.本当の「失敗」とは
たった一度のトライで目的に達成しないことを、即座に「失敗」として切り捨てるのは、あまりに勿体ない話です。
失敗、と捉えるから、落ち込むし、落ち込みたくないから、そもそもやろうとしなくなってしまうのだとしたら、「失敗」だと考えなければいいのではないでしょうか。
失敗ではなく、試行錯誤の第一段階なのです。
Aというやり方ではだめだった⇒ではBでやってみよう⇒A’でもいかもしれない⇒AAというやり方もあるかな……、など。
そしてこのとき大事なのは、「試行錯誤の第一段階」であることを受け容れてくれる環境です。
「方法がまずかったり情勢が悪かったりで、目的が達せられないこと」という失敗の定義にも、それが含まれています。
失敗とは、行為者一人だけの責任でも原因でも無いのです。
そして、試行錯誤・リトライが出来ないとしたら、それも行為者だけの責任ではありません。
本当の失敗とは、1回しか挑戦しないこと・出来ないこと、なのです。
環境は、すぐに変えることはできません。
特に「風土」を変えようとすると、ある程度の地位や権力、時間、協力者が必要です。
それでも
と理解していることはとても重要です。