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MCエッセイ Vol.53「自己主張は身を滅ぼす!自分のことが話せなくて」(岸田瑠々)


夜になると吐息が白むようになりましたね。地獄です。
どうも。嫌いな季節は冬、好きな季節はやや夏よりの春。国際文化学科4年の岸田瑠々です。

今回お届けしますのは、セルフお焚き上げシリーズ第3弾「自己主張は身を滅ぼす!自分のことが話せなくて」です。なおこれにてこのシリーズは終了となります。

ー主張の激しい糞ガキー

思えば主張の激しいガキでした。聞かれてもいないのに自分の話したいことばかり喚いては会話をした気になる、そんなガキ。自分の話は他者に聞かれるべきものであり、自分の思考は正しいと信じて疑いませんでした。

忘れもしない小学校3年生のあの日。国語の授業でクラスの意見がぱっくり2つに割れることがありました。というのも、自分が突拍子のない自説を譲らなかったためです。あまりにも自分が譲らなかったために授業は突如、討論形式となり自分VS他のクラスメイトの討論が開始されました。結果は惨敗。質問攻めにされた挙句、答えに詰まり号泣というさんざんな結果で終わりました。それでも自分は確固として自説を譲らなかったのです。先生、その節はご迷惑おかけしました。とまぁ、それくらいに主張の激しいガキだったのです。

※ 編集注:若干過激な表現がありますが、自虐的な表現の趣旨を汲み取りまして、そのまま掲載します。

ー罪悪と羞恥の中でー 


中学校2年。これまで何だかんだ上手くいっていた学校生活に陰りが見え始めました。勉強、いつも下から数番目。部活、競技転向してきた子に記録を越され伸び悩む。恋愛、気付いたら親友と想い人が恋仲に。そんな中、トドメとなったのは親しいと思っていた友人に陰口を言われていたことでした。「友達だと思っていた子に悪口を言われていた。なんでだろう…?」と周囲に言って回りました。それはもう範囲攻撃が如く広範囲に。被害と疑問を訴えかける形で如何にも自分は善良ですと言いたげに彼女を加害者にしたのです。自己主張が激しいだけならまだしも、被害者意識の強さとこれが結び付くとロクなことがありません。
今思えば、この時こんな回りくどい方法を取らず彼女に直接聞けばよかったのです。単なる誤解だった可能性も否めませんから。それが出来なかった拙さを若いと言わずして、なんと言い表しましょうか。

この一件でつまらない自尊心にいよいよもって深い傷を負ったらしく、自分は引き篭もりました。もう何もかもが立ち行かなく思いました。なぜこうも駄目な人間になってしまったのかと自己嫌悪と自問自答とでいっぱいになった時、思い当たるのは自己主張の激しさでした。自分は主張の激しさを深く深く恥じました。これによって多くの人を害してきたと強い罪悪感を覚えました。駄目人間に至った理由はこの他にも沢山あったでしょうに、全てを自己主張の激しさに押し付けたのは一刻も早く羞恥と罪悪から抜け出したいと思ったためでしょう。この部分を自分から削り落とすことを希い、自戒としました。思春期というものはなぜこうも極端で気色が悪いのか。あれから10年が経とうとしている今では理解に苦しめます。

ー自分のことが話せなくてー 


自己嫌悪と自戒に塗れた日々は終わり、新しい生活が始まりました。高校進学です。中学時代を知る人がいないニュートラルな環境で自己改革を図る。そう決意した自分は、どのような時も聞き手に回り傾聴と相槌に徹しました。自ら主張することなく、ただひたすらと。ある時、同級生から言われました。「岸田さんは静かだね」と。あの自己主張の塊であったやかましい自分はもういないと実感しました。元来会話における過半数を占めていた自分語りが削られれば、そりゃ静かにもなります。 

けれど、この成長には1つ弊害がありました。リアクションは首振りとハンドサイン、会話は「○○さんはどうなの?」の一辺倒。それが当時の自分でした。「自分から話す」ことが出来なくなっていたのです。自分の話はつまらないし価値が無い、自己主張したら嫌われる、また全てが立ち行かなくなるという強い自己暗示がありました。また、相も変わらずイメージの虜である自分は「静かな岸田さん」を守ろうと必死でした。それが周囲から求められている姿であると確信していました。

面白かったのが、このおしゃべりAIみたいな人間は誰からも嫌われることが無かったということ。話を聞いて貰える分には誰しも悪い気はしないわけです。聞き手に人格って必要あるんでしょうか。たまに分からなくなります。よく話を聞いて気持ちに寄り添ったり肯定したりしてくれる存在であれば誰でも良いのではないでしょうか。話せるようになった今でさえそう思うことがあります。

ーようやく分かってきた上手な自己主張の方法ー


修行僧のような3年間は鈍重ながらも過ぎ去り、大学進学に伴い新発田へ。おしゃべりAIごっこにも飽きたので心機一転。少しずつ自分のことを話すようになりました。すると、これまで溜め込んでいた糞程つまらんと自分では思っていた話が案外ウケるもので入学から半年経つ頃には不自由無く話せるようになっていました。勿論、全てが立ち行かなくなることはありませんでした。 むしろ多少の自分語りは自己開示となり、相手との関係を深めるのに一役買います。程度さえ弁えれば嫌われる要因では無く好かれる理由になるのです。内容が面白ければなおのこと。

それでもやはり会話では受け手に回りがちで、積極的に話しているように見えて実は人の話を聞いているだけということが多々あります。特に「日常のちょっとした話」を自分からするという行為は今でも大の苦手です。名残りですね。自分のことを軸に話を進めることのなんと難しいことか。そういう意味では聞くことが重要な敬和キャンパスレポは適任なのかもしれません。我ながらこじつけがましい締めです。若干未完結な事柄なので前回と前々回に比べて爽快感が足りない仕上がりとなっておりますがご愛敬ということで、どうかお許し下さい。

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以上をもってセルフお焚き上げ企画、完結です。3本合わせて約8000文字。当時の自分にとって世界の中心だった悩みがたったの8000文字で表せるわけです。卒論にも満たない矮小な悩みで頭を抱えていたのかと思うとちゃんちゃらおかしいです。笑ってそう言えるようになった自分に心からの祝福を。それでもきっとこういう機会が無ければ心の隅の方に残り続けていたでしょうから全ての発端であるお焚き上げ企画には頭が上がりません。

今週のMCエッセイは岸田がお送りしました。

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