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消えた「支那の夜」、継承された「春的夢」:一戸信哉の「のへメモ」20220114

今夜1/14の放送では、蘇州在住の卒業生(黒竜江省出身)へのインタビューが放送されます。現役の中国人留学生と一緒に考えた、「中国国内の地域文化」というニュアンスの企画です。黒龍江出身で、敬和卒業後に、上海近くの江蘇省蘇州市に移住(?)した先輩のお話です。生まれ故郷を離れて、若くして日本に留学してきた中国人留学生にとっても、出身地以外の中国各地の文化というのは、とても興味のわく話題のようです。政府間の摩擦の中で、「中国」に対してなんとなく距離を感じている日本人にとっても、「実は中国もいろいろだ」という知識を得ることは、中国理解を「複眼化」する効果がありそうです。

日本人の中国イメージを選曲の中でいろいろ追求していくと、どうしても戦前の日本映画や曲にたどり着くのですが、そのなかで「歴史」に翻弄されて「消えて」しまった作品として「支那の夜」が出てきます。往年のスター俳優長谷川一夫と女優李香蘭が登場する、日中恋愛ストーリーです。「支那」という、すでに使われなくなった言葉がタイトルになっているばかりか、李香蘭扮する中国人女性が、長谷川一夫に頬を叩かれ、しかしその愛情に気がついて惹かれあっていくという展開に、日本人の中国人差別が表現されているとして、中国の人々の反発を買ったとされています。ただ制作の背景はそう単純ではなく、映画を制作する側としては、そのような「プロパガンダ」要素を入れることで、検閲の目をかいくぐって「娯楽作品」を世に出そうとしていたようです。

李香蘭こと山口淑子さんは、戦後「漢奸」裁判にかけられるのですが、その際にもこのシーンが問題になったといいます。山口さん自身がのちに著書の中で、「殴られたのに相手に惚れこんでいくのは、中国人にとっては二重の屈辱であった」と書いています(山口淑子・藤原作弥『李香蘭 私の半生』(新潮文庫、1990年)、155ページ)。

実は映画より先に、同名の曲「シナの夜」が発表されていました。映画は、曲名にあわせて作られたものなんですね。作詞西條八十、作曲は竹岡信幸で、渡辺はま子さんが歌っています。Spotifyの表記は「シナの夜」ですが、もともとの表記は「支那の夜」で、あえて変換しているのではないかと思います。

歌詞でも「シナ」が連発されているので、ほとんど放送では使われることはないといいます。ただ以前はこの言葉にそこまで敏感に対応していなかったのか、美空ひばりさんらが戦後歌ったバージョンもあります。

この曲の美しいメロディは、世界各国で支持されているようで、Wikipediaの情報に基づいて探してみると、いろいろ出てきます。中国語では当然「支那の夜」としては歌わないのですが、「春的夢」というタイトルで、さまざまな歌手が歌っています。一番最初に歌ったのは、姚莉という歌手で、1942年の発表とされています。こちらは戦後も歌い継がれ、広東語、台湾語、福建語などのバージョンが、アジア各国で歌われています。

広東語版は、「愛的微波」というタイトルです。

日本からの宣伝放送の影響なのか、米兵の間でも「China Nights」(チャイナ・ナイト)と知られるようになり、アメリカで英語版も制作されています。

Martin Dennyの曲(カッコの中がShina no Yuroとタイポになってます)はインストゥルメンタル、Miyoshi Umekiのバージョンは日本語でうたっています。Miyoshi Umekiさんは、戦後アメリカに渡って女優としても活躍した人物です。


この曲そのものは、当時の日本人の中国大陸へのイメージや憧れを体現したものにすぎないとは思うのですが、「支那」という言葉が背負ってしまったイメージゆえに、徐々に「タブー」となり、世の中から消えてしまっているように見えます。ただこの美しい旋律そのものは、そのルーツのこととは切り離して、世界各国で歌われたということもまたたしかでしょう。

少年時代、弘前の祖父母の家で、となりの市場の店から出前してもらって「支那そば」をよく食べました。「支那」の言葉の背負った意味を、ラーメンの味とともに振り返りたいと思います。

追記:この日、オンエアした曲は、「蘇州夜曲」。平原綾香さんが歌ったバージョンでお届けしました。


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