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松任谷由実「大連慕情」から、戦後生まれにとっての「大連」をのぞく:一戸信哉の「のへメモ」20220127

日本の近現代史。今も専門家として語るほどの知識は備えていないのですが、「よくわかってない」まま大学に入ってくる学生たちに、少々うんざりした思いををさせながら、戦争の話をできるぐらいの知識は備えるようになったつもりです。「先の戦争」をどう語るのかは、こうした「知識」の内容以上に、政治的な立場によるブレも大きく、うっかり話してはいけないという空気が、長く漂ってきたように感じます。その間に「先の戦争は「昔のこと」「上の世代がやたら詳しいこと」という押しやられた存在になりつつあります。

私から見れば、戦争を体験した今の90代以上の人たちの語る内容と、戦後生まれの70代の語る内容には大きな違いがあります。また自分のような、「海外派兵」「国際貢献」といったキーワードが飛び交っていた時期に、学生時代をすごした世代は、どちらの世代ともかなり認識が違うとも感じます。ということではあるのですが、学生たちから見れば、「昔のこと」を語る人たちであるという点では変わりがないのでしょう。

こうした「上の世代」の人たちとの差異を見出す上では、先週オンエアした松任谷由実「大連慕情」は非常に興味深い曲だと思いました。

1950年代に生まれたユーミンが、お父さんがお母さんに宛てた手紙から、かつての大連の風景(とかつての父母の姿)を思い浮かべて歌っています。この歌を発表した1981年にご両親が健在だったのかはわかりませんが、いずれにせよ、遠い昔の父の姿と大連を重ね合わせて、そして「アカシアの香り」のする大連のことを少しだけ入れているという、「控えめなご当地ソング」です。反戦でもなく、もちろん好戦でもなく、そこにあるのは、「大連で暮らした父への思い」です。

「昔の歌」ということでさらに遡っていくと、1940年に東海林太郎が歌った「ハルピン旅愁」あたりは、ハルピンの人や文化をキーワードに入れた典型的なご当地ソングで戦時色はあまり感じません。

東海林太郎と同世代で、同じ秋田出身でもあった上原敏は、戦地からの兵士の手紙を歌にした「便り」シリーズがあり、こちらはもう少し戦時色が強くなります。

「過去の戦争」の「反省」というのは簡単ですが、政府や軍が中国東北部「旧満州」にどんな野望を抱いていたのかとは別に、その社会的な状況の中で、旧満州の各地で暮らしていた日本人たちには、個人の暮らしや思いがある(あった)。それはちょっとだけ、戦後世代にも引き継がれて、このように歌になった。
1950年代の生まれのユーミンは80年代に「大連」をどうみていたかというのは、薄れゆく記憶の流れを確認する営みのようにも感じます。そしてこの曲の発表から、40年の時が過ぎているわけですよね。

私と同じような(?)視点で、この曲の「聖地巡礼」をされている方もいらっしゃいました。


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