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日本サッカーのボトルネックは日本の教育。サッカーの為に、子どもたちの為にできること

皆さん、明けましておめでとうございます。

ものすごく久しぶりのnoteですが、2020年はしっかり書いていこうと思います。

この機会に自分のこれまでを振り返りながら、タイトルにある話をしていきたいと思います。

サッカーの本質を学んだ大学時代

私は2014年に「大人になってから学ぶサッカーの本質とは」というブログを立ち上げました。まずはそれまでの経緯を書いておきたいと思います。

もう10年以上前になりますが、私は桐蔭横浜大学サッカー部で、風間八宏氏(元名古屋グランパス監督)の下、プロサッカー選手を目指してトレーニングに明け暮れていました。風間さんの常識に捉われない発想、常に世界基準で語る指導は本当に学びが多かったですし、当時のサッカー部の仲間も本当に個性豊かで彼らとプレーし生活を共にする中で学んだことは財産になっています。

大学2年生の時に椎間板ヘルニアという病に倒れてから、2度の手術、そして長いリハビリ生活を強いられることになりました。その頃からバイトでサッカーの指導に携わるようになりました。

幼稚園児〜小学生までのカテゴリーで指導に携わることになったのですが、そこで見たジュニアサッカーの現場は酷いものでした。

少年サッカーの現場が大人たちの娯楽になっていた

子どもたちのサッカーが、大人たちの娯楽化していたのです。

目先の勝利に飢えたコーチたちは、足が速くて体が強い子、根性があってボール扱いが上手い子を試合に使います。そして、子どもたちが判断する余地はなく、コーチの指示を忠実に守れる子どもたちだけが生き残っていく世界だったのです。

チームには所属しているけれど、ほとんど試合に出れない子どもがたくさんいるんです。子どもが勝ちたいという気持ちでプレーするよりも大人が勝ちたい(勝たせたい)という気持ちが強すぎて、子どもたちを強制し矯正しているんです。子どもたちは自分がやりたいと思う気持ちよりも、やらないと怒られるからやらないといけない気持ちで(やらされて)やっていることが多かった。

試合中はコーチや親たちがサッカーゲームのコントローラーを握ったかのように子どもたちを操作します。

言うことを聞ける子どもが良い選手、言うことを聞けない子どもは悪い選手、そんな基準があるかのように子どもたちはジャッジされていきます。

もちろん素晴らしいチームも中にはありますが、本当に少数でマイノリティだったのです。
私が所属していたスエルテジュニオルス(現ロボスフットボールクラブ)の久保田さんから受けた影響、このクラブで学んだことは別の機会に書きます。

少年サッカーの現場を変えたいという想いで中南米へ

少年サッカーを変えたいという気持ちは日に日に高まっていきました。上述したような価値観の古いチームが一番多いのですが、他にも思うことはたくさんありました。

「あのチームは斬新で面白いからぜひ観に行って」と言われて実際に観に行くと、「うちは蹴って走るようなことはしません。バルセロナのようなパス回しにこだわってます。」とか「テクニック、とりわけドリブルにこだわってます。」と、ちょっと偏りすぎたチームが多く、違和感を感じていました。パス回しを大事にするのは良いけれど、機械的で駆け引き皆無だったり、シュートやパスのチャンスがあるのにドリブルで仕掛け続けてもOKとしてしまう光景を見て、それは違うよなという感想を持って帰ることが多かったです。

私はいつの間にか大学サッカー部を辞めて、サッカーのコーチ業にのめりこんでいました。そして大学を卒業し、就職せずにサッカーコーチをしながらスペインレストランでバイトをし、スペイン語を勉強して、中南米へ渡ることにしました。(当時、2つのサッカークラブでコーチをし、休みの日はスペインレストラン、夜はホテルの清掃バイトでお金を貯めました)

メキシコから下はずっとスペイン語圏、旅をしながらアルゼンチンまで行って指導者ライセンスを取ろうというプランでした。南米には素晴らしいサッカー選手が数多く排出される土壌があります。そして体格も日本人に近いので、選手を育む素晴らしいヒントがあるに違いないと思ったのです。

メキシコ、グアテマラ、ホンジュラスを約1年旅しました。

現地では色々な経験をしました。ツテのない一人旅だったので、それはもう刺激的な旅になりました。

ストリートサッカーに混ぜてもらったり、現地の子どもたちとサッカーしたり、オランダ人の女学生と、アメリカ人のおじいさんと、ドイツ人のマリファナ大好きなエンジニアとスコットランド人の若者と1LDKをシェアして住んだり、この時の経験が今の自分の人生に活かされています。

そもそもコーチを辞めて、海外に行こうと思った理由の一つに、子どもたちにサッカーを教える上で大切なことは、サッカーが上手いことよりもサッカーを知っていることよりも、サッカー以外の人生経験なのではないだろうかと思ったこともあり、このひとり旅はまさに自分を成長させてくれたと思います。

日本を出て11ヶ月ほど経った頃、持病の椎間板ヘルニアの再発で帰国することになりました。志半ばの帰国でした。

ボカジュニアーズの14歳以下のプレーを観て受けた衝撃

帰国後、ヘルニアの治療〜リハビリ、社会復帰までに丸1年費やしました。

日常生活ができるようになってからは、せっかく覚えたスペイン語を活かすために、外国人労働者を支援する某労働組合でスペイン語の通訳と翻訳のボランティアをしていましたが、旅の資金も底をついてしまったため、一般企業に就職して働くことにしました。

それから数年間、仕事に追われてすっかり指導の現場から離れていたのですが、たまたま東京国際ユース(U-14)サッカー大会という国際大会が駒沢であることを知り、に観に行きました。

そこで観たアルゼンチンの名門クラブ、ボカジュニアーズの14歳以下の圧倒的な表現力に衝撃を受けました。日本サッカーに足りないものがクリアになった瞬間でした。そして、立ち上げたばかりのブログに感じたことを書いたのです。その時の記事がこちら↓

日本という国、社会は周囲の人と同じことが正解だと強く思い込まされているような気がする。しかし、みんなと同じであることが正しいという同調圧力は個人の可能性を喪失させる側面がある気がするし、みんなと違うことに勝機があると気付きにくいことは損失だなぁと個性が輝くユース年代の子供たちを見て改めて強く感じた。
サッカーで世の中に認められる存在になるには他人を圧倒する何かがないといけないのにもかかわらず、みんなと同じ様にルールを守ることに必死になる風潮には違和感を感じてしまう。他人と違う自分の個性を表現することがナンボであるというスタンスのコリンチャンスやボカの子供たちを観ていてスゴく自然体だなぁと思った。

この記事はFacebookで拡散されて、たくさんの反響がありました。とりわけ全国各地のサッカー指導者から共感のメッセージをいただきました。

この出来事をきっかけに、私はサッカーの育成年代を中心に取材をしながら今日に到るまでこのブログを更新しています。

野洲高校が日本一になった時の影の立役者、岩谷さんの話を聞いたり、

ブラジル人指導者にインタビューしたり、

スペインに取材に行ったり、

ベトナムに取材に行ったり、

異色のJリーガーにインタビューしたり、

北陸大学の学生コーチに記事を書いてもらったり、

サッカーコンサルタントの幸野さんに話を伺ったり、

上記以外にも、ここではとても書ききれない量の取材をしてきました。

そんな中で気づいたことがあります。

日本サッカーのボトルネックは日本の教育

サッカーは自分で考えて、主体的にプレーするものです。そして、自分をしっかりと表現することでポテンシャルが発揮されます。

しかし、日本の学校教育は極めて全体主義的で、出る杭は打たれてしまいます。自分を表現するどころか、制御することに比重がおかれることが多いと思います。

日本の教育はサッカーとの相性は最悪なわけです。

そんな状況を変えるべく、日々ブログを通じて発信してきました。

大人になってから学ぶサッカーの本質とは」は月間約30万PVでFacebookページのフォロワーも約2万です。おかげさまでここまでになりましたが、ジュニアサッカーの現場に行くと10年前と変わらない光景があるのです。

同士は増えましたが、現場はなかなか変わっていきません。

まだまだ力不足です。

優秀な若者も既得権のおじさんたちに潰されてしまう。そんな光景はもうたくさんなんです。

私たちにできること

日本のサッカー文化を育むために、私たちは本質を見失うことなく後世に伝えていかなければなりません。また、若者の邪魔をすることなく、スムーズに世代交代するための構造を作っていかなければなりません。

これを変えるのは簡単ではありません。

教育に関しても、学校教育が変わるのを待つ前に、私たちにもできることがあります。これからの時代を生きる上で必要な教育とは何か?を考えて、子どもたちに伝えることはできます。できることから少しづつ変えていくんです。

勉強不足で古い価値観の指導者、学校、クラブはまだまだたくさんあります。

でも、誰に預けるか、誰から学ぶかは選べるんです。そのための正しい情報を選択する力、本質を見る力は養うことができます。

良い指導者、良いチームを見極めることができれば、ダメな指導者は淘汰されます。

そのために、これからも発信していきたいと思います。


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