貧乏から脱却するために高校時代もがいた話
自粛要請が出てから、地元新潟で暮らす母親と頻繁にLINEをするようになった。
どうしようもない両親で、幼少期から苦労していた。
ど田舎なので、あそこの家は貧乏だ、なんていうレッテルを貼られていた。
「早く自立したい、ここでは見れない世界を見たい」その一心で高校生から孟勉強するようになった。
「貧乏の子は貧乏だし、その世界しか知らない」
今ではこんな風に当時の気持ちを言語化できるようになったけど、当時は「両親みたいになりたくない、そんな生き方したくない」と思って、必死にできることをもがいた。
ど田舎だし、情報を得ていなかったから、勉強することしか思いつかな買った。
入学したFラン高校の成績では学年トップを維持したり、簿記を取りまくったりしたけれど、学ぶ学力範囲の関係で普通の大学受験をすることはできなかった。(前期・後期とか)
専門学校に行くには学費が高い。県内のまあまあの私立大学も高い。
県外なんて論外。
そう思っていたとき、地元の国立大学なら学費も安く、小論文試験いわゆる推薦入試を受けることができると言われ、その望みにかけた。
猛勉強の末、合格し、わたしは家を離れ大学付属の寮に住んだ。国立大学付属の寮は、狭い部屋以外全て共同。でも水道光熱費込みで約1万円という値段。
周りにはアパートがたくさんあって、アパート住まいの人はたくさんいたけど、わたしのように経済的に困難だからという理由の人もたくさんいた。
この大学入学が、わたしの1つの分岐点。
入ってからは、地元や家では決して見ることがないであろう景色だった。
簡単にいっちゃうけど頭の良い人やお金持ちの価値観とか、経済的に困難でも育ち方で価値観は変わるんだ、とか。
田舎ならではだと思うけど、ここに入学したことで親戚達からの視線も変わったのだ。田舎のこーゆーところは本当くだらないと思う。
大学に入ることが目的だったので、大学では何も残せなかったし、履歴書に書けるようになったくらいしかいいことはない。
だけど、「親のようになりたくない」の一心で頑張ったこと、見れない景色を見れたこと、いい経験ができた。
その頑張りの経験があるから、わたしは頑張ることができるのだ。
18歳の自分を超える努力をする。
ちなみに、親はいわゆる「貧乏脳」なので好きではないけれど、最近ようやく受け入れられるようになりました。