人生を楽しむ

最近読んだ本で、「この世に自分の生きた証を残す」という言葉を見かけた。この言葉がわたしの中に引っかかった。数年前のわたしが言ってた言葉だったからだ。


数年前は、自分が正しいと思ってたことが通用しない世界にいた。今まで自分の信念としていたものが、ポキっと折れ、精神的にかなり辛い日々を送っていた。今の私から見れば、当時の私はただ若くて世界のことを何も知らなかっただけだし、信念もパラパラな物だ。

そんな状況で、当時の私は生きるのに必死で、どうにか生きる理由を見つけようとしていた。生きる理由が欲しかった。何か自分はこうだ!と表現できるものが欲しかったし、追求したかった。そんな時に「この世に自分の生きた証を残したい」という言葉を頻繁に使っていた。


でも、今になって思うのは、生きるのに理由は必要ないじゃん、ということ。生きるのに理由なんてない。たまたま色んな条件が重なってわたしが生まれただけ。わたしも自然の摂理で生まれただけ。それに、わたしには世の中に大きなインパクトを与えられるだけの実力も才能もない。社会に揉まれてようやく分かったことだ。


人生に理由や意義を求めるより、自分なりに精一杯生きれば充分だと思う。というより、そんな難しいこと考えずに、楽しもうよ〜と思えるようになった。裏を返せば、今に集中できるようになったのかもしれない。


生きる証を残すことを考えていた数年前のわたしは、自分の目の前のことや周囲にいてくれた人を大切にできていなかったと今となっては痛感する。今その時に目を向けず、意義なんて生きる意味を拡大解釈することで、目の前のことから目を逸らしたかっただけなのかもしれない。


たくさん楽しんで悩んで挑戦して....それが人生を楽しむことだし、生きる証を残せなくても、自分が死ぬ時に「やり切った!」と思えれば、人生あがりだ。要は自己満足が全てだと今では思う。