無駄を大切にする

最近、無駄について考えるようになった。
ここで言う無駄は、物ではなく時間。

何をもって無駄と言うかは人によって変わるが、例えば、コインランドリーで洗濯物が乾くまでの待ち時間であったり、何もせずボーッとすることなど。

ある人にとってはそれらの時間は何も生み出さないから無駄だと言うかもしれない。だが、他の人にとっては、本を読める時間だから有効活用していると言えるかもしれない。

だけれど、無駄をなくして生産性だけを追求してしまったら、私たちは人間と言えるのだろうかと思う。私たちは本来生き物であり、何かを生み出すためだけに生きているのではない。

猫のように、ぼーっとゴロゴロしてのんびり過ごす時間は、本来生き物にとって必要なのでは無いかと思う。それらの無駄に見える時間に、最高の楽しさが詰まっていることもある。だが、忙しなく毎日考えすぎて生きてると、見逃してしまう。

無駄を省いて、最短ルートだけを求めてしまうとプロセスに学ぶことが無くなる。結果も大事だが、プロセスにこそ結果へのヒントが詰まっているし、途中無駄があってもそれを楽しめてこそ、後悔のない結果を出せるのではないかなと。そうすると、成功や失敗に捉われなくなって、人生がより楽しくなるはずだ。