すでに在った村上春樹と形成される村上春樹

#ハルキストへの道
と名付けて勝手にやってるこのシリーズ。

今回は、まさに原点であるデビュー作と、そこから始まる鼠三部作と呼ばれる作品を読んだのでその感想をば。



■商品リンク(非アフィ)のみなので飛ばして良し


■『風の歌を聴け』感想

デビュー作であるこの作品。

村上春樹さんのエッセイを先に読んでいたので、デビュー作の裏側に関しては履修済みであった。
せっかくなのでそのあたりの話も紹介したい。


『走ることについて~』によると
デビュー作である今作は、バーを経営しながら夜なべして書いたらしい。
えげつないエネルギィである。

村上春樹さんの自己評価を引用すると

勤勉で我慢強く体力があるというのが、昔も今も僕の唯一の取柄である。

『走ることについて語るとき僕の語ること』kindle位置33

…村上先生、そんな凡庸な才能では有りません。。
どんな量のどんな種類の努力をしても、たどり着けない領域にいます。。


そして小説、を書こうと決心したのも、野球観戦をしていた時にふと思ったのだそうだ。
そこから、紙と万年筆を買って、春から秋にかけて書き上げたのがこの作品『風の歌を聴け』。


ようやくここから感想となる。


この作品の中で、村上春樹作品たる要素はいくつかあるがすべてではない。
逆にいえば、この作品にあるものは真に才能の部分、努力でたどり着けない部分であると思うし、
この作品にないものは、土台はあったにせよ努力や試行錯誤で勝ち得たものであるといえるかもしれない。

音楽に例えると
村上春樹さんのリズムやメロディはすでにあるが、
それをさらに強調するアレンジはまだないといったところだろうか。
(うまくないな。。)


物語は、港町で大学生をしている<僕>と、友人の<鼠>を中心に展開していく。
古い青春映画を小説にしたような、みずみずしいのに暗くて、妙にリアルな雰囲気、
そしてなんといっても、主人公のキャラクターが「村上的」であると思う。

俯瞰した視点で自分を語り、物事を語り、感傷に浸っている。
ビールを飲んでいる。
やたらと音楽に詳しい。

それを象徴するお気に入りの一節を引用する。

一夏中かけて、僕と鼠はまるで何かに取り憑かれたように25メートル・プール一杯分ばかりのビールを飲み干し、「ジェイズ・バー」の床いっぱいに5センチの厚さにピーナツの殻をまき散らした。そしてそれは、そうでもしなければ生き残れないくらい退屈な夏であった。

『風の歌を聴け』より


この物語の展開はあまりなく、ぐるぐると同じところを回ってどこにも着地しないという
青春の一例だけどあまり語られない面を丁寧に描いている。

そこはかとない悲壮感や絶望感は物語中ずっと重くのしかかっていて、
正直、村上作品のファンになっていない状態でこれを読んだら、最後まで読めなかったか、これ以降村上作品を読まなくなっていると思う。

そのくらい救いがない話。
すれ違い、それを修復する力や機会は訪れない。
いわゆる孤独感と喪失感。
村上作品は(僕の読んだ)ほとんどすべての作品で「孤独と喪失」あるいは「喪失からの孤独」を描いていると思っているが、この作品では脚色や演出のない純度100%の塊をぶつけられている気分だった。


これは、村上作品に限った話ではないが
青春物語と救いのない展開はかなり相性がいいと思っている。
どんなにバッドエンドでも少年少女たちの人生はまだ序章だからだ。
苦い思い出も青春の一ページとして胸に刻んでおくような
どこかに爽やかな雰囲気が残る読後感になりやすい。
(もちろん筆者の力量によるところも大きい)

この物語も、エピローグには29歳と30歳になった僕と鼠のことが少しだけ書かれている。
それで彼らも生きていっていることを知る。
そりゃ楽しいことも苦しいこともあるのだろう。
だけど、あの彼らが生きていることに少し安堵する。
相変わらず、ということもわかる。
それが大事なんだ。

と、感想なんだかそうじゃないんだかってところで終わりたいと思う。
それがふさわしいと思うから。


■『1973年のピンボール』感想

『風の歌を聴け』の中で、この話は1970年の8/8-26までの話だ、ということが明示される。

『1973年のピンボール』では最初の章のタイトルが「1969-1973」となっている。

時期的には『風の歌を聴け』の時間を包含・補完しつつ1973年にまで時間を進める。

その時、<僕>は東京で会社を起こしていて、<鼠>は地元でぶらぶらしている。

この話は、最後まで読んでも取り留めもないような話に思える。

<僕>と<鼠>の話が進められていくが、交差はしない。
あくまでそれぞれの人生。

<僕>は会社を経営して、双子と暮らしている。
ピンボールに病的に熱中し、それがきっかけで一つの事件ともいえるイベントに遭遇する。あとは配電盤。
(双子、ピンボール、配電盤がなんのメタファーなのかはあまりわかってないし、ファーストインプレッションを書きたいので分析しない。)

<鼠>はひたすらダウナーな生活をしている。
<僕>もダウナーなんだが、<鼠>のほうがひたすらダウナーだ。
物語上いろんな展開があるが救いがない。

『風の歌を聴け』が<僕>の物語としたら
『1973年のピンボール』は<僕>の物語に見せかけた<鼠>の物語なのかもしれない。そう感じた。


『風の歌を聴け』に引き続き、傷つき憔悴した<鼠>は
物語の最後に地元を出ることにする。

同じところをぐるぐると堂々巡りしていて、抜け出せない状況をやっと変える決断をしたのだ。
そうやって彼は前に進もうとしたのだ。
それは尊い行為であるかもしれないが、果たして本人にどれほどのビジョンがあったのかはわからない。


そして直子。

物語冒頭に出てくるこの直子は『ノルウェイの森』に出てくる女性と同名なのだ。


二つの物語の直子が同一人物であるならば
<僕>は『ノルウェイの森』のワタナベである可能性が高い

だからと言ってそこに何ら驚きの仕掛けがあるわけでもないが
理解を深め、その人生想像する材料が増えることになる。
逆に別の人物ととらえることの方がいい場合もある。


<僕>と<鼠>の物語が一旦の、一応の結末を迎えるのは次作『羊をめぐる冒険』なので
感想も保留にしておきたい。


■『羊をめぐる冒険』感想

『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』を発表したのは
バーを経営しながら、いわゆる兼業小説家として発表した作品であった。

そして今作『羊を巡る冒険』はバーをたたみ、専業小説家として初めて書いた作品である。(『走ることについて~』の記述より)

この作品に現在の、というか僕の知る村上春樹が現れており
「成ったな」という感覚があった。(何様ですのん?)


物語は再び1970年のことをプロローグとして語り、
今度は1978年に進んで本編が始まる。

タイトルにある通りこれは冒険譚である。
あと長編の物語で、『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』を合わせたページ数よりも多い。

積極的、とは言いづらいものの、<僕>は行動を起こしていく。
それは友人<鼠>のための行動。

その先に出会う羊男

ここで<鼠>の物語は完結し、
<僕>と<鼠>にしか知りえない友情も完結する。

温度で言えば低いのかもしれない。
色で言えば寒色が多かった。

そこに友情がなかったわけではない。
<鼠>の苦悩もわかっていた。
<僕>自身も世の中の奔流に必死で耐えながらなんとか生きてきた。

憐憫ではなく信頼していた。
だからこそ、自立した人間として尊重した。
本当はどちらもそんな人間ではなかったかもしれないのに。

相手の人生を背負うほどの成熟した人間でないにも関わらず
寄り添ってしまった。

<鼠>はそう思っていないかもしれないが、
ただ運がよかっただけ、ただ運が悪かっただけと示すような両者の人生だった。

終盤の<僕>と<鼠>の会話の美しさは三部作を読んできたからこそわかるものだ。
全てのやり取りに意思があり、互いがそれを100%理解している会話。
むしろ、会話せずともわかることをあえて声に出す行為なのかもしれない。


正直なはなし、何がどんなメタファーであったかもわからないが
暗く美しい友情とその終わりが描き出された物語であったと思う。


■何が作られ、何がすでにあったか

三部作の三作目『羊をめぐる冒険』が僕の知る村上春樹に近い作品であった。

では、ほかの二作品になくて、『羊をめぐる冒険』にあったものは何なのか。

それは「移動」と感じた。

他の二作品は移動をほとんどしない。
あったとして、物語の手段としての「移動」であり、目的でない。
(3フリッパーズのピンボールを探す場面は少し近い)
であるからこその閉塞感もあるが、それが読み手としても窮屈な印象を受けた。

『羊をめぐる冒険』では、目的的な移動をする。
それを通じて問題を解決しに動く。

そこに物語としての展開のわかりやすさがあり
キャッチーさが生まれるのではないだろうか。

これがこの3部作を通じて作り出した新たな一面であるような感覚がある。
そして現在、村上春樹作品の一要素になっていると思う。


反対に、すでにあったものは
独特の会話劇や、独特の比喩表現、映画のシーンを彷彿とさせる描写
などである。

根幹はすでにあり、演出の部分で物語をブーストさせる方法を身に着けたのだ。



最後に、
デビュー作の第一文にこの文章をもってきていることは恐るべきことであると思うので記載しておく。

完璧な文章など存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。

『風の歌を聴け』冒頭


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